西宮城跡
にしみやじょうあと(Nishimiya Castle Ruins)
【C-NR019】探訪日:2018/10.30
奈良県生駒郡平群町西宮1丁目
【MAP】
〔駐車場所〕
室町時代に嶋氏によって築かれたとされ、嶋氏の平時の居城で、詰めの城として椿井城が築かれたともいわれている。現在、城の主郭部は公園となっており、城の遺構はまったくみられない。近くの西宮古墳も曲輪の一つとして利用されていた。
1460(長禄4)年に畠山義就方の一手が嶋城を攻めたが、嶋氏はこれを撃退している。この時の嶋城は、この西宮城なのか椿井城なのかは定かではない。嶋左近清興の時には平群を中心に一万石の領地を治めていた。しかし、1559(永禄2)年、松永久秀が大和に乱入し、信貴山城を拠点に大和を支配し、西宮城も松永方の城となった。そして、1577(天正5)年に織田信長に攻められたときに当城も落城したようである。
西宮城の北には谷を挟んで、同じ嶋氏の下垣内城がある。
【史跡規模】 |
【指 定】 |
関連時代 | 室町時代 | 戦国時代 |
---|---|---|
関連年号 | 1460年 | 1559年・1577年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
---|---|---|---|---|---|
嶋 清興 | **** | 畠山義就 | G366 | 松永久秀 | ZZ02 |
織田信長 | OD04 |
西宮城・下垣内城縄張り図(『日本城郭大系 第10巻』に加筆)