中島城跡

なかじまじょうあと(Nakajima Castle Ruins)

【C-AC581】探訪日:2023/3.30

【C-AC581】中島城跡 愛知県蒲郡市大塚町上中島

【MAP】

〔駐車場所〕

   別名は大塚城。1440(永享12)年、陸奥国岩瀬郡から東三河に移り、今川氏親の家臣として宝飯郡千両村を領した岩瀬治部左衛門忠家が大塚に築いた城館とされる。その後も丹野,山神,灰野,金割の4ヶ村を加増された。天文年間(1532~55年)には城主・岩瀬氏俊の弟・和泉守入道善性が牛久保六騎として牛久保城主・牧野氏に付属していた。1544(天文13)年頃、岩瀬氏安が城主となる。
 1562(永禄5)年、西三河を平定した松平元康(徳川家康)が東三河へ進出し上ノ郷城を攻略すると、続いて氏安の守る中島城も攻められ落城。しかし、直ぐに奪回するが、岩瀬吉右衛門が討死し、その子・家久は戦功により大塚郷のほか、遠江国の蒲西方,細谷を得た。翌1563(永禄6)年再度落城し、その後は徳川家に従い、1590(天正18)年の家康関東移封の頃、廃城となったとされる。幕府創立後は江戸に住み、代々小姓役頭等を勤めたという。幕末に海防係目付として日米通商条約締結や諸外国との交渉に功績を残した岩瀬忠震は、この一族である。
 城は、北方の山地から半島状に突き出した尾根先端部に位置していたと考えられ、現在の大塚城址碑が立つ北側辺りと推察される(今も屋敷跡と呼ばれている)。なお、城址碑は上中島交差点の北西の民家敷地内の鳥居の奥に立っている。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代

室町時代

戦国時代
関連年号

1440年

1544年・1562年・1563年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
岩瀬忠家 F*** 岩瀬氏俊 F*** 岩瀬善性 F***
岩瀬氏安 F*** 松平元康 TG01 岩瀬家久 F***
岩瀬忠震 F***

 

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民家の中にある説明板 民家の中にある城址碑 右(北)に向かって上っていく