井内城跡

いないじょうあと(Inai Castle Ruins)

【C-AC642】探訪日:2023/8.18

【C-AC642】井内城跡 愛知県岡崎市井内町久世

【MAP】

〔駐車場所〕八幡宮(井内町公民館)北側に駐車場がある。

【C-AC642】井内城跡

   築城年は定かではないが、久世三四郎広宣,坂部三十郎広勝の居城とされる。久世広宣の父・長宣は三河一向一揆で一揆側につき討死したが、広宣(当時3歳)は母に連れられて遠江国に移り住み、16歳のときに父の罪を赦されて家康に仕えて、遠江の対武田勢最前線である高天神城を守備した。1574(天正2)年、武田勝頼軍に対する籠城戦で降伏したが、勝頼の城兵に対する寛大な処置で、徳川への帰還を希望する者の身柄はそのままに解放されたため、久世広宣,坂部広勝はともに三河へと帰還。築城はその頃かと思われる。両者は1575(天正3)年の長篠の戦いでも軍功を挙げている。その後は再び対武田勢最前線に戻り、横須賀衆(大須賀康高に与力)の一員として1578(天正6)年8月の高天神城奪回戦で武勇を発揮した。さらに、1584(天正12)年の小牧・長久手の戦いでも活躍している。
 1590(天正18)年、家康の関東移封に伴い、久世広宣も関東へと移り、子の久世広之は若年寄,老中に昇進して下総国関宿藩主となっている。
 城跡は井内八幡宮および西側の住宅地とされているが、遺構は残されていない。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代 安土桃山時代
関連年号 1574年・1575年・1578年・1584年 1590年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
久世広宣 G822 坂部広勝 **** 久世広之 G822

 

【C-AC642】井内城跡

 

 

【C-AC642】井内城跡

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井内八幡宮東側の鳥居 井内八幡宮 井内八幡宮境内 北側の鳥居 八幡宮北側 八幡宮西側 八幡宮西側