旭姫墓所〔瑞龍寺〕
あさひひめ ぼしょ〔ずいりゅうじ〕(Grave of Asahi Hime [in Zuiryu-ji Temple])
【K-SZ063】探訪日:2025/3.24
静岡県静岡市葵区井宮町48
【MAP】
〔駐車場所〕瑞龍寺の参詣者用駐車場がある。
1590(天正18)年1月14日(2月18日)、48歳で死去した徳川家康の正室(継室)で豊臣秀吉の異父妹(同父妹とも)でもある旭姫(朝日姫)の墓所である。泰雲山瑞龍寺にある。旭姫は、上洛中に亡くなり、家康の小田原征伐への出征準備中でもあったため、喪を秘して東福寺南明院に葬られた。旭姫は晩年、病気がちで臨済宗に帰依した。瑞龍寺には分骨されている。瑞龍寺の墓の建立は秀吉によるという説と家康によるという説がある。
旭姫は、1543(天文12)年、竹阿弥となか(大政所)の娘として誕生し、尾張の農民に嫁いだ。織田信長に仕えた秀吉の出世とともに、この夫も武士に取り立てられ、佐治日向守を名乗った(最初の夫は織田家臣・副田甚兵衛吉成という説もある)。
1586(天正14)年、秀吉は徳川家康を懐柔するために旭姫を嫁がせ、家康を妹婿とすることで形式的な従属を強めようとした。家康はこれを了承し、榊原康政が代理として上洛して結納を取り交わし、5月には旭姫と従者150名余の花嫁行列は京を出発し、14日に浜松城に至って、家康の正室として徳川家に嫁いだ。この時、家康45歳、旭姫44歳だった。旭姫は駿河府中(駿府)に居を構え、駿河御前と呼ばれた。
その後、1588(天正16)年に母・大政所の病気の見舞いを理由に上洛したが、しばらくして快方に向かったため、9月9日、駿河に帰国。次の時期は不明であるが、聚楽第に住んでいる。1589(天正17)年11月には病気に罹っており、翌年の1月14日、死去した。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1590年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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旭姫 | ZZ01 |
徳川家康 | TG01 | 豊臣秀吉 | ZZ01 |
旭姫像(南明院蔵)