平清水北城跡
ひらしみずきたじょうあと(Hirashimizu Kita Castle Ruins)
【C-NR054】探訪日:2025/4.19
奈良県奈良市平清水町427
【MAP】
〔駐車場所〕平清水町ちびっこ広場付近に駐車させていただく。
築城年は定かではないが、室町時代に在地の国人衆の1人である平清水氏によって築かれた。南には平清水南城があった。平清水氏は、1384(至徳元)年の『長川流鏑馬日記』にその名が見える。
平清水氏は古市氏に従い、敵対する筒井氏の重臣の喜多氏とは領地が隣接していたため、古市・筒井両氏の争いでは常に最前線で戦うことになった。1467(応仁元)年の応仁の乱では、古市氏とともに国中の郡山南方の新木庄を横領して勢力を拡大した。1479(文明11)年、城が全焼し、財宝,馬,牛など悉く焼けたという。
そして、1543(天文12)年、国中に勢力拡大を図る筒井順昭との戦いで、須川城はじめ反筒井諸氏の山内土豪達は滅ぼされ、平清水城もこのとき攻められ落城した。
平清水北城は、標高355m,比高20mの山稜に築かれた南北70m×東西60mの方形単郭(郭内は37m×30m)の平城である。西の腰曲輪から迂回して登る坂虎口となっており(表虎口)、北側には土橋を渡って入る裏虎口がある。主郭の北西と北東の辺を土塁,空堀で防御している。現在、主郭内は田跡、東側は竹林と化している。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 室町時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1384年・1467年・1479年 | 1543年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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平清水氏 | **** | 筒井順昭 | MW21 |
平清水城縄張り図(『日本城郭大系 第10巻』に加筆)