松ノ木城(美濃高松城)跡
まつのきじょう(みのたかまつじょう)あと(Matsunoki [Mino Takamatsu] Castle Ruins)
【C-GF082】探訪日:2025/9.19・10.8
岐阜県海津市海津町松木285
【MAP】
〔駐車場所〕
美濃高松城とも呼ばれる。築城年は定かではないが、天正年間(1573〜92年)頃には吉村兵庫頭信実,吉村又吉郎安実が居城し、織田信長,信孝,信雄などに仕えた。しかし、信雄が改易されると、吉村氏は徳川家に仕え、ともに関東へと移った。
代わって、高松には豊臣家の家臣・徳永寿昌が2万石(異説として1万2700石)で入る。寿昌は後に3万石に加増された。秀吉没後は、井伊直政の招きによって徳川家康に仕え、1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いでは、福島正則に属して今尾城主・市橋長勝とともに、石田三成方についた高木盛兼の高須城,丸毛兼利の福束城を攻め落とした。寿昌は、戦後にこの功績を認められて同年11月、5万6000石に加増の上で美濃高須藩に移されたため、美濃高松藩は廃藩となり、松ノ木城も破却された。
松の木城の所在地については発掘調査が行われていないため、正確な位置は不明であるが、松木集落内の御霊神社の辺り、または集落北端の新日本ウエックス(株)岐阜工場の辺りが候補地となっている。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 戦国時代 |
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関連年号 | 1573~92年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
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吉村信実 | **** | 吉村安実 | **** | 徳永寿昌 | F754 |