高須城跡

たかすじょうあと(Takasu Castle Ruins)

【C-GF084】探訪日:2025/9.19・10.8

【C-GF084】高須城跡 岐阜県海津市海津町高須町126

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-GF084】高須城跡

   築城年は定かではないが、1338(暦応元)年に美濃国石津郡の地頭職を賜った氏家重国が館を構え、これを高須城の前身とする説がある。1522(大永2)年には大橋源左衛門重一が築き、以降、信重,重長と続く。大橋氏は後に勝幡城の織田信秀に属し、天文年間(1532〜55年)以降は、高津直幸,平野長治,秋山信純など多くの城主が入れ替わった。
 1592(文禄元)年、高須城主・高木盛兼は1万石を領して居城していたが、1600(慶長5)年の関ヶ原合戦では石田三成方の西軍に与したため、福島正則に属した松ノ木城主・徳永寿昌,今尾城主・市橋長勝の攻撃を受け落城し、船で縁者の高木正家が守る津屋城へ、さらに正家ともども大垣城に退却した。逃亡した。戦功により徳永寿昌が2万石を加増され5万600石にて入封、美濃高須を立藩し、城郭を修築した。
 しかし、1627(寛永4)年、寿昌の嫡子・昌重が大坂城石垣築城工事に懈怠があったとして改易となり、徳永家の治世は29年間で終わった。
 その後、幕府直轄領を経て、1640(寛永17)年に下総国関宿から小笠原貞信が入封し立藩したが、木曽三川による水害に悩まされ、貞信は1691(元禄4)年には所替えを願い出て、越前勝山へと転封となり、再び幕府直轄となった。
 1700(元禄13)年、尾張藩2代藩主・徳川光友の次男・松平義行は、信濃伊那郡にこの地を加え3万石を領して立藩し、尾張藩の支藩として明治まで続いた。
高須藩は、本家尾張藩主家に後継ぎが絶えたときの相続人を出す家柄で、徳川義恕(慶勝),徳川義比(茂栄),徳川義宣(徳成)の3人が尾張藩主となっている。このほか、陸奥若松藩主・松平容敬,容保、石見浜田藩主・松平武成、伊勢桑名藩主・松平定敬も高須藩から出ている。
 城域は明確ではないが、松平氏の時代には、居館は大江川の南岸ほとりにあり、海津明誠高校や海津小学校には諸役所,武家屋敷が並んでいたという。海津小学校の北の城跡公園と、小学校北東の殿町ポケットパークに案内板が設置されている。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】

【国重文】

関連時代 南北朝時代 戦国時代 安土桃山時代 江戸時代:前期
関連年号 1338年 1522年 1592年・1600年 1627年・1640年・1700年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
氏家重国 F661 大橋重一 H137 高津直幸 ****
平野長治 H174 秋山信純 G445 高木盛兼(守之) G171
徳永寿昌 F754 徳永昌重 F754 小笠原貞信 G460
松平義行 MT71 徳川義恕(慶勝) MT12 徳川義比(茂栄) MT12
徳川義宣(徳成) MT12 松平容敬 MT61 松平容保 MT61
松平武成 MT62 松平定敬 MT45


【C-GF084】高須城跡
  


【C-GF084】高須城跡

【C-GF084】高須城跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

城跡公園 土塁跡?(ではないでしょう) 堀跡 殿町ポケットパークにある説明板 藩校日新堂に植えられた二本松(現在が一本) 御館(本丸)辺り 御館(本丸)辺り 御館(本丸)辺り