駒野城跡

こまのじょうあと(Komano Castle Ruins)

【C-GF086】探訪日:2025/10.8

【C-GF086】駒野城跡 岐阜県海津市南濃町駒野1317

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-GF086】駒野城跡

   築城年は定かではないが、正暦年間(990〜995年)に瀬戸道明寺が初めて城を構えたのが始まりとされる。鎌倉時代の文治・建久年間(1185~1199年)に守護職の土岐光衡・光行が南濃の要地として城を築き、土岐家歴代の家臣が守将となった。
 1542(天文11)年、斎藤道三の家臣・髙木貞政に攻略され、この時より高木氏が居城したとの伝承がある。なお、永正年間(1504〜21年)に貞政の伯父・高木貞成が美濃守護・土岐氏に従って城を築いたとする説もある。
 1564(永禄7)年、織田信長が斎藤龍興を滅ぼし西美濃攻略を進めると、高木貞久は織田氏に従った。1567(永禄10)年、貞久は次男・貞利へ駒野城を譲り今尾城主となり、1568(同11)年には弟・貞秀に譲っている。1579(天正7)年、貞秀は庭田城へ入り、弟・貞友に駒野城を譲った。
 信長没後、高木貞友は徳川家康の家臣となり、1584(天正12)年には小牧・長久手の戦いで、羽柴秀吉は筒井順慶,小川左馬介の大軍を差し向けて攻略にかかったが、駒野城は勘解由左衛門を先鋒としてよく耐えて守り抜き、城は落ちなかった。しかし、戦後、秀吉の天下になると、髙木一族は美濃を退去した。
 1600(慶長5)年、関ヶ原の戦いに先立ち、石田三成がこの地を巡察し、桑名より大垣への守りのために塁壁の構築を命じた。しかし、8月19日、松ノ木城主・徳永寿昌は高須城を落とした勢いで、高木盛兼の一族や池田伊予守秀氏が籠る駒野城を攻め、本戦の敗戦翌日である9月16日に開城させた。開城には東軍に属していた同族の高木氏が説得した。その後、廃城となる。
 城は標高30mほどの舟岡山と称された小丘に築かれ、現在の海津市立城山小学校の校舎北側に本丸があり、東・西・南を土塁が囲んでいた。二の丸の一部も残されている。

【史跡規模】

【指 定】海津市指定史跡(1956年8月20日指定)

【国 宝】

【国重文】

関連時代 平安時代:中期 鎌倉時代 戦国時代 安土桃山時代
関連年号 1469~87年 1185~1199年 1504〜21年・1564年・1567年・1568年・1579年・1584年 1600年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
瀬戸道明寺 **** 土岐光衡 G132 土岐光行 G132
髙木貞成 G171 高木貞政 G171 高木貞久 G171
高木貞利 G171 高木貞秀 G171 高木貞友 G171
徳永寿昌 **** 池田秀氏 KI**


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関ケ原決戦前(8/16~9/14)の南美濃における前哨戦

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