竹中重治墓所〔禅幢寺〕
たけなかしげはる ぼしょ〔ぜんどうじ〕(Grave of Takenaka Shigeharu [Zendo-ji Temple])
【K-GF030】探訪日:2026/4.28
岐阜県不破郡垂井町岩手1038-1
【MAP】
〔駐車場所〕禅幢寺の駐車場を利用できる。
![]()
1579(天正7)年、播磨国の三木城攻めの最中に陣中で36歳の若さで病没した竹中半兵衛重治の墓所である。子の竹中重門が菩提を弔うために故郷の禅幢寺に墓を移した。
重治は父の重元と共に1559(永禄2)年に菩提山城を築く(岩手氏時代の山城を再構築)。1560(永禄3)年、19歳で家督を継ぎ城主となり、稲葉山城主の斎藤義龍に仕えたが、その子・斎藤龍興の代には少数の手勢で稲葉山城を落とし、一時、龍興を追放した。その後、浅井長政の客分となるが、1年ほどで領地の岩手に戻り隠棲した(栗原城跡を竹中半兵衛の隠棲地とする伝承がある)。
斎藤氏滅亡後には、織田信長,木下秀吉に仕え、軍師として名を挙げるが、1579(天正7)年4月の播磨三木城攻めの際に病に倒れ、一旦療養のため京に上ったものの死期を悟った重治は陣中へと戻り、同年6月13日(7月6日)に病没した。
墓所は禅幢寺の左奥に一族の墓とともにあり、2019(令和元)年12月には、地元の「竹中半兵衛顕彰会」によって墓所が整備改修され、重治と父・重元の墓塔は木造建物で囲われている。
なお、竹中半兵衛重治の墓所は、このほか、兵庫県三木市平井と志染町の栄運寺裏山にも存在する。