揖斐城跡

いびじょうあと(Ibi Castle Ruins)

【C-GF096】探訪日:2026/5.10

【C-GF096】揖斐城跡 岐阜県揖斐郡揖斐川町極楽寺220

【MAP】

〔駐車場所〕駐車場がある。

【C-GF096】揖斐城跡

   1343(興国4/康永2)年、土岐頼康(『土岐累代記』による)または弟の土岐頼雄(『新撰美濃志』による)によって築かれたとされる。頼雄が城主となって、頼雄の末子の詮頼が揖斐氏と称して、子孫が約200年にわたって代々跡を継いだ。詮頼の曾孫の基信は惣領家の土岐政房の子・光親を養子としたが、1547(天文16)年の斎藤道三による攻撃で落城した。なお、築城者とされる頼雄は、揖斐川町大光寺にある大興寺を創建したことでも知られ、寺内に土岐頼雄墓所がある。
 その後は揖斐氏の家臣・堀池氏が居城としたが、織田信長の美濃国侵攻に伴い、1583(天正11)年には稲葉良通によって再び城は陥落した。良通の子・稲葉貞通が城主となっている。後に破却され揖斐陣屋が建てられた。
 城は標高220m,比高180mの城台山頂上に本丸があり、南から南の丸,本丸,二の丸,三の丸,出丸(太鼓曲輪),北の丸,搦手曲輪とクランク状に連なり、途中にも曲輪,腰曲輪が設けられている。また、堀切や竪堀を巧みに用いて防御性を高めている。本丸の枡形虎口や出丸北下の切り通しも敵の侵入を妨げている。二の丸の南山腹にある井戸には現在も水が沸いている。南北朝時代から戦国時代にかけて完成度を高めてきた山城といえる。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】

【国重文】

関連時代 南北朝時代 戦国時代
関連年号 1343年 1547年・1583年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
土岐頼康 G134 土岐頼雄 G134 土岐詮頼 G134
土岐基信 G134 土岐光頼 G134 斎藤道三 F864
堀池氏 **** 稲葉良通 OC08 稲葉貞通 OC08


【C-GF096】揖斐城跡
 近くの菩提山城跡同様、規模も大きく、よく整備されており、お勧めランク上位の山城である。登山道も広く歩きやすい。ただ、クマ出没にはくれぐれも注意が必要。途中の展望台のところには「クマが目撃されています」の注意書きがあり、南の丸で出会った方からは、ここ(南の丸)と上(本丸)でもクマが見られたそうですよ、と情報を頂いた。いつも以上にクマ鈴を鳴らして、また時々振り返りながら、東端の搦手曲輪まで訪れ、帰りも同様にクマ鈴をリンリン強めに鳴らして下山した。


【C-GF096】揖斐城跡


「久太郎の戦国城めぐり」さんの縄張り図に加筆

【C-GF096】揖斐城跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

民俗歴史資料館登り口からスタート ところどころに文学碑が建つ 展望台(木々に遮られ、あまり展望できず)近くにクマ目撃の注意書き有り 南の丸下の段曲輪 南の丸 右は本丸南に通る犬走り 南の丸 南の丸 南の丸から本丸へ 本丸から枡形虎口,二の丸へ 枡形虎口(本丸へ入る方向) 枡形虎口(本丸へ入る方向) 枡形虎口(本丸側から見る) 本丸東の堀切に架かる土橋 本丸東の堀切 本丸東の堀切 本丸東の堀切(堀切底から土橋を見る) 二の丸へ続く曲輪 二の丸 二の丸 二の丸 二の丸 二の丸の北下に西の丸 二の丸の虎口 二の丸の虎口を振り返る 二の丸と大手門跡の間の曲輪 大手門跡 大手門跡 三の丸 三の丸 出丸(太鼓曲輪) 出丸 出丸 出丸 出丸の西側の竪堀 出丸北側の切り通し 切り通しのところの竪堀 出丸東の堀切の先に北の丸 北の丸 北の丸東の堀切に架かる土橋(北の丸側から) 堀切 堀切 堀切 北の丸東の堀切に架かる土橋(搦手曲輪側から) 搦手曲輪 搦手曲輪 搦手曲輪 搦手曲輪の東の堀切