太郎ヶ城跡
たろうがじょうあと(Taroga Castle Ruins)
【C-GF098】探訪日:2026/5.17
岐阜県揖斐郡池田町本郷
【MAP】
〔駐車場所〕
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築城年は定かではないが、応仁・文明年間(1467~86年)頃、安八郡田村(現・神戸町)から本郷に移った国枝為助が太郎ヶ宮の西に築城したとされる。国枝氏は西美濃三人衆のひとつ安藤氏の庶流とも加藤氏の一族ともいわれ、出自は詳らかでない。その後、本郷城へと居城を移し、1495(明応4)年に始まる船田合戦で、為助は石丸利光方の副将として出陣したが、中野の戦いで斎藤利国(妙純)方に敗れ、兄弟5人と共に討死した。
本郷城の国枝氏自体はその後も土豪として存続し、為助の後は正助,宗龍,重光,重元,重高,政森と約200年にわたって続いたが、関ヶ原合戦で石田三成率いる西軍に属して敗れた。
現在、太郎ヶ城跡は温知小学校北側の路地脇に石碑が建つのみであるが、明治時代の字絵図によれば、堀を含め、南北108m,東西88mの長方形の平城で、堀・土塁はともに5~10mほどの幅で、周囲を取り囲んでいたとされる。
1995(平成7)年の駐車場造成にともなった発掘調査にて、ほぼ字絵図通りの位置に堀と土塁を検出され、堀は、深さ1.7m,幅は7m以上と推測され、土塁についても、削られ高さは不明であるが、幅は約7mと確認されている。
なお、近くの龍徳寺境内には国枝為助一族の墓がある。
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【史跡規模】
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【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
| 関連時代 | 室町時代 | 戦国時代 | 安土桃山時代 |
|---|---|---|---|
| 関連年号 | 1467~86年 | 1495年 | 1600年 |
| 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
|---|---|---|---|---|---|
| 国枝為助 | **** | 国枝正助 | **** | 国枝宗龍 | **** |
| 国枝重光 | **** | 国枝重元 | **** | 国枝重高 | **** |
| 国枝政森 | **** |
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