国枝為助一族墓所〔龍徳寺〕

くにえだためすけ いちぞく ぼしょ〔りゅうとくじ〕(Graves of Kunieda Tamesuke Family [in Ryutoku-ji Temple])

【K-GF039】探訪日:2026/5.17

【K-GF039】国枝為助一族墓所 岐阜県揖斐郡池田町本郷1343-1

【MAP】

〔駐車場所〕

【K-GF039】国枝為助一族墓所

   1495(明応4)年、船田合戦の中野の戦いで討死した国枝大和守為助を中心にした国枝氏一族の墓所である。為助の他、5代・宗竜とその兄弟の貞次,秀守,正泰(?)、6代・重光の兄弟・助光など計11基の墓石が並ぶ。墓所は国枝氏が再興し手厚く保護した龍徳寺境内の北西にある。
 国枝氏の出自については諸説があり、はっきりしないが、文明年間(1469~86年)に3代目・為助が田村(現・神戸町)から本郷へ移り来たと考えられている。最初、太郎ヶ城を築いたが、のちに本郷城へと居城を移した。
 1495(明応4)年6月、小守護代の石丸利光が土岐成頼の子・元頼を擁立して船田合戦を起こすと、国枝為助は石丸方の副将として一軍を率い、中野(現・大野町)で斉藤利国方と戦い、弟4人共々戦死した。最終的に石丸方も敗北し一時没落する。その後は、本郷城を拠点とし勢力を回復して戦国末期まで有力土豪としてその地位を保ち、龍徳寺の再興や城下整備に尽力・貢献した。
 しかし、1600(慶長5)年8月には、本郷城主・国枝政森は織田秀信に属して西軍に与して敗れ、本郷城,龍徳寺,養源院などは焼き払われ、美濃国枝氏は滅亡した。

【史跡規模】

【指 定】池田町指定史跡(2002年1月8日指定)
【国 宝】
【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1495年~
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
国枝為助 **** 国枝宗龍 **** 国枝貞次 ****
国枝秀守 **** 国枝正泰 **** 国枝助光 ****


【K-GF039】国枝為助一族墓所



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