東首塚〔関ヶ原古戦場〕
ひがしくびづか〔せきがはらこせんじょう〕(East Kubi-zuka;Mound for Severed Head [Historic Battlefield of Sekigahara])
【B-GF001a03】探訪日:1990/6.3・2026/4.25
岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原908-3
【MAP】
〔駐車場所〕
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1600年(慶長5)年10月21日(9月15日)に関ヶ原の戦いにおいて戦死した兵士たちを東軍西軍区別なく埋葬した塚のひとつである。玉垣で囲まれた塚にはスダジイの大木が立つ。当時は、その戦死者数からみて現在より相当な規模であったと思われる。現に、JR東海道本線の敷設の際には、埋葬されていた大量の白骨が出たという。
午前8時頃に開戦し、午後2時頃には西軍の敗北がほぼ決定的となり、天下分け目の合戦もわずか6時間余りで終結を迎える。戦死者数は諸説あり定かではないが、西軍8,000~32,600、東軍4,000~10,000ともいわれ、両軍合わせて、10,000を超える数である。徳川家康は合戦後、床几場で首実検を行った。
合戦翌日の9月16日、徳川家康は近江に向けて出発するにあたり、関ヶ原の領主である竹中重門に米1,000石を与えて領地に迷惑を及ぼしたことを謝するとともに、戦場の死体を収拾して首塚を造ることや、損害を受けた社寺の修復を命じている。
東首塚には、首級の血・土を洗い流した「首洗いの古井戸」や、1817(文化14)年に関ヶ原本陣の古山兵四郎が建立した東首塚の由緒を彫り込んだ「首級墳碑」、そして、1942(昭和17)年に名古屋から移築された山王権現社本殿,唐門が建つ。
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【史跡規模】
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【指 定】国指定史跡(1931年3月30日指定) |
| 関連時代 | 安土桃山時代 |
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| 関連年号 | 1600年 |
| 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
|---|---|---|---|---|---|
| 竹中重門 | G144 | 古山兵四郎 | **** |
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