尾張国分寺跡

おわりこくぶんじあと(Owari Kokubun-ji Temple Ruins)

【T-AC134】探訪日:2026/9.22

【T-AC134】尾張国分寺跡 愛知県稲沢市矢合町椎ノ木 宮西1141 

【MAP】

〔駐車場所〕

【T-AC134】尾張国分寺跡

   741年(天平13年)に聖武天皇によって発せられた国分僧寺・国分尼寺建立の詔に基づく尾張国の国分僧寺の遺構である。規模は東西約200m・南北約300m以上と推定されるが、寺域は確定には至っていない。これまでの調査では、金堂,講堂,塔の遺構が見つかっており、伽藍配置としては金堂,講堂,南大門(推定)が南北一直線に並び、金堂左右には回廊が取り付き、その回廊外の東方に塔を配していたとされる。
 金堂は瓦積基壇で、東西25.6m・南北21.6m。講堂も瓦積基壇であるが、規模は不明。礎石2個が検出されている。塔は瓦積基壇・14.7m四方で基壇のたたきしめが弱いことから、創建時の七重塔ではなく再建時の三重塔(または五重塔)の遺構と考えられている。心礎を含む礎石4個が残る。なお、他に中門,南大門,回廊の遺構は見つかっていない(回廊は一部のみ検出)が、推定寺域内からは大量の瓦が出土している。
 創建後、884(元慶8)年8月に尾張国分寺が焼失し、その機能を愛智郡定額寺の願興寺(現・名古屋市中区の尾張元興寺跡?)に移したと『日本紀略』に見える。また、空也上人は920年代に尾張国分寺で剃髪したとされるが、いずれの寺院かは不明。
 2014年現在では遺構の多くは民有地に所在するため、整備はなされておらず、塔の遺構以外は明示されていない。伝承では、旧国分寺の東西南北には「四楽寺」と呼ばれる末寺があったといわれ、北方の安楽寺,東方の平楽寺(廃寺:小寺遺跡),南方の長楽寺(現・長暦寺),西方の正楽寺(廃寺:正楽寺遺跡)がこれらに相当するとされる。
 現位置(椎ノ木)は江戸時代以来の地誌などで国分寺の所在が伝承され、平成25年(2013年)までの17次にわたる発掘調査の結果や、国府に近いという所在地、『妙興寺文書』等において椎ノ木の寺院跡付近に「国分領」「国分寺地」の地名が認められるなどを基に、本遺構は尾張国分寺跡として認められ、国の史跡に指定された。
 なお、国分僧寺の後継寺院は鈴置山国分寺、さらに北東3.5kmほどのところには尾張国衙跡,尾張大國霊神社(国府宮)がある。

【史跡規模】

【指 定】国指定史跡(2012年1月24日指定/2018年10月15日追加指定)

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 奈良時代 平安時代:前期
関連年号 741年 884年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
聖武天皇 K308


【T-AC134】尾張国分寺跡



【T-AC134】尾張国分寺跡


尾張国分寺跡の史跡指定範囲と伽藍配置図(「尾張国分寺跡 史跡保存整備基本構想」より引用加筆)

【T-AC134】尾張国分寺跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

塔跡への入口 「尾張國分寺舊址」の碑 塔跡地 塔跡地 塔礎石 塔礎石 塔礎石 塔礎石 塔跡以外の区域(境内跡)は民有農地:塔跡の南側 塔跡以外の区域(境内跡)は民有農地:塔跡の北側