西溝口城跡
にしみぞぐちじょうあと(Nishi-Mizoguchi Castle Ruins)
【C-AC715】探訪日:2026/9.22・10.8
愛知県稲沢市西溝口町坪之内
【MAP】
〔駐車場所〕
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築城年は定かではないが、戦国時代に逸見勝政が美濃国山県郡大桑郷から尾張国中島郡溝口村に移り築いたという。姓も溝口氏に改めた。
勝政の長男・定勝は幼少の頃から丹羽長秀に仕え、1581(天正9)年より織田信長に取り立てられ、若狭国高浜城主5000石となる。本能寺の変で信長が没した後は丹羽長秀の家臣となり、1583(天正11)年の賤ヶ岳の戦い後、加賀国大聖寺城主になった。長秀没後は羽柴秀吉の家臣となり、名も秀勝に改名している。1598(慶長3)年、越後国新発田城主6万石となる。1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いでは東軍に属し、上杉景勝の一揆鎮圧に努め、所領を安堵された。1610(慶長15)年に死去。
西溝口城主には奥田蔵人の名もある。城址碑は成願寺(一見は民家)の入口にあり、城跡はその南方の坪之内・白山辺り(規模:東西約72.5m×南北約47.3m)とされるが、現在は住宅・畑地に変わり、遺構は残されていない。