性高院

しょうこういん(Shoko-in Temple)

【T-AC137】探訪日:2026/10.6

【T-AC137】性高院 愛知県名古屋市千種区幸川町3丁目6-6

【MAP】

〔駐車場所〕

【T-AC137】性高院

   1589(天正17)年、忍城主の松平忠吉は母・西郷局(宝台院)の菩提を弔うために、武蔵国埼玉郡忍庄にあった「攝受院正覚寺」を満誉玄道を開山として再興した。これが始まりとされる。
 忠吉は関ヶ原の戦いの恩賞として尾張国・美濃国52万石を与えられると、1603(慶長8)年に清須城へ入るが、その際、寺院も「大雄山正覚寺」として清須城下へと移された。1607(慶長12)年、忠吉は享年28の若さで亡くなり、1610(慶長15)年の清洲越しで寺院も名古屋市中区大須門前町へ移るが、移転にともない、寺号「正覚寺」から忠吉の法号「性高院」へと変更された。1636(寛永13)年、朝鮮通信使が休憩所として性高院に泊まったとされ、1795(寛政7)年には性高院殿廟が建立された。
 昭和初期に末森山へ、さらに1943(昭和18)年に軍用道路計画のため、千種区の現在地へ移転。しかし、1945(昭和20)年の名古屋大空襲により、国宝の表門以下伽藍が全焼、朝鮮通信使等の資料も焼失してしまった。
 戦後以降も現在地にあったが、1999(平成11)年に8階建てのビルが建てられ、現在のビル内に本堂が再建されている。ビルの裏側(南側)には松平忠吉と殉死者の墓所がある。
 なお、絹本著色松平忠吉像(附:厨子1基),梵鐘(名古屋市博物館寄託),双体地蔵石碑,黒漆葵紋瓜蒔絵懸盤・椀(徳川美術館寄託)は、名古屋市指定文化財である。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代 江戸時代:前期 昭和時代:前期 昭和時代:後期
関連年号 1589年 1603年・1610年 1943年・1945年 1999年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
松平忠吉 MT35 満誉玄道 ****


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 マンションビル内にある寺院のため、入るのに少し躊躇したが、目的を持っての探訪であり意を決してビル入口から入った。しかし、本堂がわからない。入口を入って階段を下りると(そこに庫裡がある)、マンション駐車場となり、そこに松平忠吉公の墓所がある。要は、ビル正面ではなく駐車場側からもビルに入ることもできる。謎?の本堂へは再チャレンジしたい(1階のような気もするが・・・)。


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『尾張名所図会 前編』に描かれた性高院

【T-AC137】性高院 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

ビル入口 性高院庫裡と書かれている 性高院入口の右側を入ると松平忠吉墓所がある 松平忠吉墓所 松平忠吉墓所