清洲城跡

きよすじょうあと (Kiyosu Castle Ruins)

【C-AC013】探訪日:1990/8/16・2014/9/6

【C-AC013】清洲城跡 愛知県清須市朝日城屋敷1-1

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-AC013】清洲城跡

   1405(応永12)年、尾張,遠江,越前守護であった斯波義重によって尾張守護所である下津城の別郭として築かれたとされる。しかし、1476(文明8)年に織田敏広と織田敏定の守護代をめぐる内紛により下津城が焼失し、1478(文明10)年に織田敏定が守護所を清洲城に移転したことで尾張国の中心地となった。
 1554(天文23)年、尾張守護の斯波義統は、清洲城主で尾張下四郡守護代の織田信友によって謀殺された。しかし、信友も翌年、織田信長と結んだ織田信光によって殺害され、以降、信長が那古野城から移り大改修を加えた。信長は、約10年間ここを本拠として尾張上四郡の岩倉織田家を倒して尾張を統一し、1560(永禄3)年の桶狭間合戦にもここから出陣している。1562(永禄5)年には信長と徳川家康との間で清洲同盟が結ばれ東を固めたことで、1563(永禄6)年、美濃国斎藤氏との戦に備えて小牧山城に居を移した。
 1582(天正10)年に本能寺の変で信長,信忠が斃れると、清洲城にて清洲会議が行われ、秀吉が薦める信忠の遺児三法師が家督を継ぎ、信長の次男の信雄は尾張,伊勢,伊賀を相続して清須城へ入った。1586(天正14)年に信雄によって2重の堀の普請,大天守・小天守・書院などの造営が行われている。しかし、小田原征伐後の豊臣秀吉の国替え命令に逆らって除封され、豊臣秀次の所領に組み込まれた後、1595(文禄4)年には福島正則の居城となった。
 1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いの際には、東軍の後方拠点として利用された。戦後は安芸に転封した福島正則に代わり家康の4男・松平忠吉が入るが関ヶ原の戦傷がもとで病死したため、1607(慶長12)年には家康の9男徳川義直が入城し清洲藩の本拠となった。1609(慶長14)年、徳川家康によって清須から名古屋への遷府が指令されると、1610(慶長15)年よりいわゆる「清洲越し」で清須城下町は名古屋城下に移転され、清須城も名古屋城築城の際の資材として解体利用されることになる。1613(慶長18)年、名古屋城完成と城下町移転が完了したことにより廃城となった。
 現模擬天守は1988(昭和63)年に建てられたものである。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 室町時代 戦国時代 安土桃山時代 江戸時代:前期
関連年号 1405年・1478年

1554年・1563年
1582年・1586年

1595年・1600年

1607年・1610年
1613年

関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
斯波義重 G337 織田敏定 OD02 斯波義統 G337
織田信友 OD02 織田信光 OD02 織田信長 OD04
織田信雄 OD05 豊臣秀次 ZZ01 福島正則 G128
松平忠吉 MT33 徳川義直 TG11

 

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▲古城址

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