木曾家一族墓所〔興禅寺〕

きそけいちぞく ぼしょ(Graves of the Kiso Clan [in Kozen-ji Temple])

【K-NN009】探訪日:2026/10.18

【K-NN009】木曾家一族墓所〔興禅寺〕 長野県木曽郡木曽町福島門前

【MAP】

〔駐車場所〕興禅寺参詣者用駐車場がある。

【K-NN009】木曾家一族墓所〔興禅寺〕

   興禅寺にある木曾家の代々の墓所である。中央の宝篋印塔は木曾義仲の墓、右の中型笠塔婆は興禅寺開基の12代・木曾信道の墓、左には18代・木曾義康と19代・木曾義昌の合葬墓が並ぶ。
 木曾義仲(幼名:駒王丸)は、1155(久寿2)年の大蔵合戦で父・源義賢が源義平に討たれた際、斎藤実盛に助けられ、ひそかに木曽の中原兼遠屋敷に匿まわれて養育され、1180(治承4)年には平氏打倒の旗挙げをした。京都では征夷大将軍となり朝日将軍と称されたが、1184(寿永3)年1月20日に源頼朝方の軍との粟津の戦いで戦死。享年31。ここには遺髪が納められている。
 木曾信道は荒廃した興禅寺を再建し、木曾家の菩提寺とした人物である。1439(永享11)年死去。
 木曾義康は武田信玄に仕え、木曽福島城を築いている。1579(天正7)年に死没。享年66。義康の子・義昌は信玄の3女・真理姫を娶るが、信玄死後の勝頼から離反し(織田信長の調略に応じる)、武田氏滅亡のきっかけを作った。1595(文禄4)年没とされている。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】
関連時代 平安時代:後期 戦国時代
関連年号 1184年 1883年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
木曾義仲 G208 木曾信道 G210 木曾義康 G210
木曾義昌 G210


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中央に木曽義仲の墓、右に木曽信道の墓、左に木曽義康と義昌の合同墓 木曽家代々の墓