橘寺
たちばなでら (Tachibana-dera Temple)
【T-NR013】探訪日:1992/10/31・2017/8/27
奈良県高市郡明日香村橘532 <📲:0744-54-2026>
【MAP】
〔駐車場所〕
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正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺」と称し、本尊は聖徳太子勝鬘経講讃像。橘寺という名は垂仁天皇の命により不老不死の果物を取りに行った田道間守が持ち帰った橘の実を植えたことに由来する。
574年(敏達3)年、この地で厩戸皇子(聖徳太子)が生まれたとされ、当時ここには橘宮という欽明天皇の別宮があった。606(推古14)年、厩戸皇子が宮を寺に改めたのが、当寺の始まりとされる。聖徳太子建立七大寺の1つとされている。当寺の北側には官寺の川原寺が位置するが、川原寺の伽藍中軸線が当寺北門の中軸線と一致することなどから、僧寺(男僧の寺)である川原寺に対する尼寺として当寺が建立されたとする説もある。
当初は東西870m,南北650mの寺地に金堂,講堂,五重塔をはじめ66棟の堂舎が建ち並んでおり、四天王寺式または山田寺式の伽藍配置だったことが判明している。しかし、平安時代後期からの相次ぐ失火や1506(永正3)年の多武峰大衆の襲撃により全山焼き討ちされてしまい、以降衰退していった。
1834(天保5)年、京都中井家に依頼して大修理が企画されたが実現せず、1864(元治1)年、栢守山弥市郎と畑多根井弥太郎両氏の尽力によって再興されるにいたった。これが現在の橘寺の建物である。
境内には、飛鳥時代の石造物である善悪二相を表した二面石や五重塔跡の心礎などがある。心礎の柱孔は円柱の周囲三方に添柱を付した珍しい形のものである。