田峯城跡
だみねじょうあと
(Damine Castle Ruins)
【C-AC175】探訪日:2017/5/28
 愛知県北設楽郡設楽町田峯城9
 愛知県北設楽郡設楽町田峯城9 
Tel.0536-64-5505
【MAP】
〔駐車場所〕

   1470(文明2)年、菅沼一門の総領家・田峰菅沼家の祖となる菅沼定信が築城し本城とした。寒狭川渓谷の蛇行と段戸連邦の山並みが、まるで大蛇のようであることから、別名「蛇頭城」とも呼ばれる。菅沼一門は、この田峯から豊川流域へ版図を拡げていく。
 1575(天正3)年の長篠の戦いでは城主の菅沼定忠は武田方として参陣し、大敗した武田勝頼を田峯城で慰労する予定であったが、留守居の菅沼定直に入城を拒絶され、更に北方の武節城まで命からがらの逃避行を強いられた。その後、奥平氏によって武節城をも追われ信濃国伊那郡へ落ちていた。
 入城拒絶の辱めを怨んでいた菅沼定忠は、翌1576(天正4)年、田峯城を早朝に急襲。老若男女を問わず、城に居た一族96名すべて惨殺した。菅沼定直や家老・今泉道善については、生け捕りにした後で鋸挽きの刑で報復している。
 1582(天正10)年、織田徳川連合軍により武田家が滅亡すると、菅沼定忠と家老・城所道寿は徳川軍に帰参を願い出るが、認められずに飯田知久平城にて誅殺。田峯菅沼宗家は滅び、田峯城も廃城となる。
 本丸跡には、書院造の御殿,大手門,搦手門そして物見台が復元されている。
| 【史跡規模】 
 | 【指 定】設楽町指定史跡(1968年2月1日指定) | 
| 関連時代 | 室町時代 | 戦国時代 | 
| 関連年号 | 1470年 | 1575年・1576年・1582年 | 
| 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 
| 菅沼定信 | G139 | 菅沼定忠 | G139 | 菅沼定直 | G139 | 
| 武田勝頼 | G425 | 今泉道善 | **** | 城所道寿 | **** | 




 ※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)
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▲空堀にかかる橋

▲空堀

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▲表曲輪

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▲無名曲輪

▲井戸曲輪

▲蔵屋敷

▲畷曲輪

▲道寿曲輪

▲「本丸」説明板

▲城址碑

▲田峯城戦没,病没諸霊供養塔

▲搦手門(復元)

▲大手門(復元)

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▲本丸御殿(復元)

▲本丸御殿(復元)

▲御殿内の展示物

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▲物見台(復元)

▲「物見台」説明板

▲物見台からの寒狭川渓谷

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