野田館跡

のだやかたあと(Noda Residence Ruins)

【R-AC028】探訪日:2019/5/3

【R-AC028】野田館跡 愛知県新城市野田字川原畑

【MAP】

〔駐車場所〕

【R-AC028】野田館跡

   11世紀末頃、藤原季兼は稲木にあった稲木長者(依田氏)を滅ぼし次第に勢力を拡大し、1175(安元1)年、3代清季がここに野田館を築いて千秋氏を名乗った。以後、千秋氏は6代続く。
 一方、保元の乱(1156年)で源義朝方として参じた富永六郎大夫親兼は三河富永氏の祖となり、次第に千秋氏の領分を侵すようになり、1335(建武2)年、富永直郷が足利尊氏の命により千秋氏に代わりこの野田館に入る。さらに、幹徳に砦(のちの大野田城)を作り、設楽郡と宝飯郡の一部を含む広大な地域を領するようになった。そして、富永氏もまた7代続くことになる。
 しかし、戦国時代に入ると菅沼氏や奥平氏が郡内に勢力を拡大し、直郷から八代目の千若丸は、行く末を儚んだのか乱心自害してしまう。ここに富永氏は絶えた。そこで、1506(永正3)年、家臣の今泉四郎兵衛は仇敵である田峯城の菅沼定忠の三男定則を主として迎えるという奇策をとった。これが野田菅沼家のはじまりとなる。1508(永正5)年、四郎兵衛は戦国を生き残るための新城(野田城)の築城にとりかかり、1516(永正13)年、居住を野田館から野田城へと移した。
 現在は一面畑地に変わり、遺構は残っていない。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 平安時代:後期 南北朝時代 戦国時代
関連年号 1175年 1335年 1506年・1508年・1518年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
藤原季兼 F074 千秋清季 F076 富永親兼 OT15
富永千若丸 OT15 今泉四郎兵衛 **** 菅沼定則 G139

 

【R-AC028】野田館跡  
 

 

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▲説明板