船形山城跡
ふながたやまじょうあと (Funagatayama Castle Ruins)
【C-AC240】探訪日:2019/3/16
愛知県豊橋市雲谷町ナベ山下
【MAP】
〔駐車場所〕
1492(明応1)年頃、今川方の武将でこの地の豪族の多米又三郎が築いたとされる。三河と遠江の境にある戦略上の重要な拠点である。この頃、今川氏の内紛を機に渥美半島から勢力を拡大しつつあった戸田宗光は、1493(明応2)年、田原城から二連木城へと移り自らの駒を進めた。さらに、宗光は遠江進出の野望を表面化させ、引馬野の諏訪信濃守を味方として多米又三郎の守る船形山の砦を攻撃奪取し、勢いに乗じて遠江に進攻し浜名湖西岸から北岸にかけてその所領を拡大した。
これに対し、家内を治めた今川氏親は掛川城の朝比奈氏に宗光討伐を命じる。1499(明応8)年、船形山城は朝比奈泰以に率いられた今川勢の猛攻を受けて落城し、諏訪信濃守はこの戦いで討死したとされている。これにより田原城の戸田氏も今川氏に恭順することとなった。氏親は船形山の頂に山城を築いて、西進の足がかりとした。船形山山麓には、船形山合戦において焼失し今川義元により再興された古刹普門寺がある。
その後は、桶狭間の戦いで今川氏が弱体化すると、1564(永禄7)年から1568(永禄11)年にかけては徳川方の小笠原安元,小笠原広重,信元父子がこの国境の城を守っている。
城跡は山の尾根を利用した連郭式となっており、尾根からの侵入を遮断する東西の堀切がある。本丸跡となる削平地には現在NHK中継塔が建っており、わずかに土塁の跡もみられる。また、本丸西崖下に長さ40mの帯状の腰曲輪が残る。