【C-AC189】二連木城跡

二連木城跡

にれんぎじょうあと (Nirengi Castle Ruins)

【C-AC189】探訪日:2018/3/3

【C-AC189】二連木城跡 愛知県豊橋市仁連木町(大口公園)

【MAP】

     

 

【C-AC189】二連木城跡

 戸田宗光は、京都室町幕府政所執事の伊勢貞親に仕えていたが、三河国守護の細川成之から出された額田郡の狼藉者鎮圧願いを受け、8代将軍足利義政から戸田宗光と義父松平信光に命を下ったことを機に、三河国で勢力を持ち始める。応仁の乱が始まり群雄割拠の時代が来ると、1477(文明9)年、渥美郡大津城の郡代一色政照を渥美郡大草村に隠居させ、政照の養子分になることで郡の統治権を得、1480(文明12)年に田原城を築城する。
 さらに、1493(明応2)年、長山一色城で主君一色時家を討ち君臨していた波多野時政(全慶)と牧野成時(古白)の灰野原の戦いなど宝飯郡大混乱のなか、宗光は渥美郡の北の端である朝倉川沿いの丘の上に二連木城を築城し移った。田原城は子の憲光に譲っている。これにより、二連木城を渥美郡北部の根城とし、息子の憲光に譲った田原城と共に戸田家の中心拠点となり、戸田宗光は渥美郡完全制圧を図る。しかし、田原戸田氏は今川氏に人質として送られる竹千代(徳川家康)を強奪して織田家に送る事件をおこして、今川に攻められ没落した。
 1508(永正5)年、戸田宗光が没すると、憲光は亡父宗光のために二連木城の近くに全久院を建立した。1590(天正18)年、最後の二連木城主戸田康長(戸田松平家の祖で松平姓を受ける)は徳川家康の関八州転封にともない武蔵国深谷に一万石で移封となり、二連木城は廃城となった。
 現在は本丸が大口公園、二の丸が老人福祉センター、周りは住宅地となっている。 大口公園には周囲を囲む土塁が残り、周りの道路が一段低く堀跡のようである。

【史跡規模】

【指定】
【国宝】
【国重文】

 

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関連時代 戦国時代
関連年号 1480年・1493年・1508年・1590年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
戸田宗光 F529 戸田憲光 F529 戸田康長 F530

 

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▲案内板

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▲土塁跡

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▲土塁跡

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▲城址碑

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