柿本城跡
かきもとじょうあと (Kakimoto Castle Ruins)
【C-AC262】探訪日:2019/6/16
愛知県新城市下吉田柿本36
【MAP】
〔駐車場所〕
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1568(永禄11)年、井伊家を支えた井伊谷三人衆のひとりである鈴木重勝によって標高190m,比高70mの子路山山頂付近に築城された。
1572(元亀3)年の武田信玄の西進の際には、守備兵5百に対し山県昌景軍5千、かつ本丸のみ完成したところで守備も難しく、満光寺和尚,井代城の菅沼定仙の助力により和議を結び開城した。その後、遠山十八子城のひとつとされていたが、1574(天正2)年、武田信玄の跡を継いだ武田勝頼軍の攻撃により陥落した。1581(天正9)年の徳川家康による遠江平定後、宇利城の近藤康用がここに居城を移したとされる。
1600(慶長5)年の関ヶ原の戦い後、鈴木重好は彦根城普請を務めたが、彦根藩を追放され水戸家の家老として仕えた。弟の兵左衛門重吉は山吉田へ帰り当地鈴木氏の祖となった。
城跡には本丸,二ノ丸,三の丸,出丸が残り、本丸の東の一段低いところに腰曲輪がある。本丸跡には「鈴木長門守重勝之城址」と刻まれた碑が建てられている。
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【史跡規模】
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【指 定】新城市指定史跡(1971年6月12日指定) |
| 関連時代 | 戦国時代 |
| 関連年号 | 1568年・1572年・1574年・1581年 |
| 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
| 鈴木重勝 | SZ** | 山県昌景 | **** | 菅沼定仙 | G139 |
| 近藤康用 | F967 | 武田勝頼 | G425 | 鈴木重好 | SZ** |
| 鈴木重吉 | SZ** |
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▲説明板

▲登り口へ

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▲二の丸跡

▲二の丸跡

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▲三の丸

▲三の丸

▲三の丸

▲本丸跡

▲「鈴木長門守重勝之城址」碑

▲碑の裏側

▲本丸跡

▲本丸跡

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▲本丸跡から二の丸跡を見る

▲出丸へ

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▲出丸跡

▲出丸跡

▲出丸跡

▲出丸跡から本丸跡を見る

▲曲輪跡

▲曲輪跡