宮津城跡

みやづじょうあと (Miyazu Castle Ruins)

【C-AC268】探訪日:2020/2/21

 愛知県知多郡阿久比町大字宮津宮上ノ山

【MAP】

〔駐車場所〕

   別称を英比柳審城ともいう。1286(弘安9)年頃に新海淳英によって築かれたとされる。菅原道真の子・新海淳茂の後裔の新海実行は阿久比の卯之山館に居住していたが、1200(正治2)年に備中国英賀郡下村へと移った。のちに淳英に至って知多郡へ復帰し坂部城へ入った後、宮津城へと転住した。
 1543(天文12)年、9代の新海淳尚のとき、知多半島制圧を狙う緒川城主の水野信元に攻められ落城し廃城となった。
 南北に延びた丘陵地に築かれており、南端が高く南尾根に一条の堀切があり、その脇に竪堀状の溝が残っている。最高所には現在秋葉神社が祀られている。北側は公園や畑として開墾整備されているため遺構の確認は困難である。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】

【国重文】

関連時代 鎌倉時代 戦国時代
関連年号 1286年 1543年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
新海淳英 SW23 新海淳尚 SW23 水野信元 G606

 

 

 

 

   

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▲城址南側

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▲「秋葉神社」説明板

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▲秋葉神社

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▲秋葉神社

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▲秋葉神社の南側

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▲秋葉神社の南側

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▲堀跡

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▲堀跡

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▲堀跡

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▲高所東側の郭

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▲郭の土塁

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▲土塁

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▲郭から高所を見る

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▲高所から見た北の公園

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▲公園から見た高所

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▲高所からの眺望

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▲遠景(塔のところが城跡)