多田下城跡
ただしもじょうあと(Tadashimo Castle Ruins)
【C-NR073】探訪日:2025/6.7
奈良県宇陀市室生多田246
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年は定かではないが、室町時代に多田氏によって築かれた平常時の居館と考えられる。東南約600mの城山には多田城がある。
多田氏は、1214(建保2)年に本貫の摂津より多田経実が一族を引きつれて、この地に移住し土着したことに始まる。多田経実は清和源氏の嫡流で摂津国多田荘の源満仲の9代目子孫という。以降、経実の子孫は大和国東山内地方の有力国人として勢力を伸ばした。天文年間(1532~55年)には多田延実が多田城の出城として貝那木山城を築いて、都祁一帯も大部分を勢力下においた。
その後、織田信長,豊臣秀吉に従ったが、1590(天正18)年、多田四郎常胤が小田原征伐の際に戦死したことで、多田氏の嫡統は絶えることになる。
多田下城は標高431m,比高5m、規模が南北約80m×東西約60mの丘城で、ほぼ方形の主郭には土塁が巡らされており、東側は笠間川を自然の堀とし、西側にも空堀が設けられている。
【史跡規模】 |
【指 定】 【国 宝】 【国重文】 |
関連時代 | 鎌倉時代 | 室町時代 | 戦国時代 |
---|---|---|---|
関連年号 | 1214年 | 1532~55年・1590年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
---|---|---|---|---|---|
多田経実 | G109 | 多田延実 | G109 | 多田常胤 | G109 |
多田下城縄張り図(『日本城郭大系 第10巻』に加筆)