法起寺
ほうきじ(Hoki-ji Temple)
【T-NR023】探訪日:1994/8.10・2025/9.7
奈良県生駒郡斑鳩町岡本1873
【MAP】
〔駐車場所〕
聖徳宗の寺院、山号は岡本山。十一面観音を本尊とする。古くは岡本寺,池後寺とも呼ばれた。「聖徳太子建立七大寺」の一つに数えられることもあるが、寺の完成は太子が没して数十年後のことである。寺名は、20世紀末頃までの文献では「ほっきじ」であったが、世界遺産登録にあたり、「ほうきじ」を正式とする判断がなされた。
法起寺は法隆寺東院の北東方の岡本地区に位置し、聖徳太子が法華経を講じた岡本宮の跡地といわれ、太子の遺言により子息の山背大兄王が岡本宮を寺に改めたのが法起寺の始まりと伝えられている。その後、638(舒明天皇10)年に福亮僧正が弥勒像と金堂を造立し、706(慶雲3)年に恵施僧正によって三重塔が建立された。
創建当時の建築で現存するのは三重塔(国宝)のみであるが、1960(昭和35)年以降の境内発掘調査によって金堂跡,講堂跡が検出され、中門についても瓦積基壇の跡が検出され、創建当時の伽藍配置が判明した。旧伽藍は、金堂と塔が左右(東西)に並び、法隆寺西院の伽藍配置と似るが、法隆寺とは逆に金堂が西、塔が東に建つもので、このような形式を「法起寺式伽藍配置」と称している。三重塔は、高さ24mで三重塔としては日本最古である。また、特異な形式の薬師寺東塔を除けば、日本最大の三重塔と言われている。
また、発掘調査の結果、旧伽藍建立以前にさかのぼる掘立柱建物の遺構や石敷の雨落溝が検出されたことから、法起寺創建以前に何らかの前身建物が存在したことは確認されており、これが岡本宮ではないかと推定されている。
奈良時代はかなり栄えていた法起寺であるが、平安時代には衰微し法隆寺の傘下に入ってしまう。鎌倉時代には三重塔や講堂が修理されているが、室町時代にはまたも衰微しはじめ、江戸時代に入ると三重塔を残すのみとなっていた。1678(延宝6)年には真政圓忍とその弟子たちによって三重塔が修復され、1694(元禄7)年には講堂が再建され、1863(文久3)年に聖天堂が建立された。
明治維新によって所属する宗派が真言宗となったが、1882年(明治15)年には法隆寺や興福寺と共に法相宗として独立し、法相宗の小本山となった。さらに1950(昭和25)年、法隆寺が独立して聖徳宗を設立すると、法起寺も聖徳宗に宗旨を改めている。
【史跡規模】 |
【指 定】世界遺産:法隆寺地域の仏教建造物の一部(1993年12月11日登録) 【国 宝】三重塔(1951年6月9日指定) 【国重文】・木造十一面観音立像 (像高3.5m,10世紀後半の作) ・銅造菩薩立像(像高20cm,7世紀後半の作,奈良国立博物館寄託) |
関連時代 | 飛鳥時代 | 江戸時代:前期 | 江戸時代:後期 |
関連年号 | 622年以降・638年・706年 | 1678年・1694年 | 1863年 |
関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
山背大兄王 | K303 | 福亮僧正 | **** | 恵施僧正 | **** |
真政圓忍 | **** |