武蔵塚〔小牧長久手古戦場〕

むさしづか〔こまきながくてこせんじょう〕

(Musashi-Zuka;Place Where Mori Nagayoshi Was Killed [Historic Battlefield of Komaki-Nagakute])

【B-AC002c04】探訪日:2020/9/5

 愛知県長久手市武蔵塚905

  【MAP】

〔駐車場所〕

   1584(天正12)年4月9日未明、森長可(岐阜金山城主)は池田恒興率いる岡崎侵攻(三河国中入り)先鋒隊に続く第2陣の総大将として参加していた。この戦に際して長可は鎧の上に白装束を羽織った姿で出馬し不退転の覚悟で臨んだ。やがて、後発の総大将である三好信吉(のちの豊臣秀次)隊が白山林の戦いで徳川軍別働隊によって敗走させられ、その別働隊は第3陣の堀秀政らが桧ヶ根の戦いで破ったものの、その間に家康の本隊が2陣と3陣の間に割り込むように布陣しており、池田隊と森隊は先行したまま取り残された形となっていた。もはや決戦は不可避となり、長可は池田隊と合流して徳川軍との決戦に臨み、井伊直政隊と激突して奮戦するも水野勝成の家臣・水野太郎作清久配下の鉄砲足軽・杉山孫六の狙撃で眉間を撃ち抜かれ、ここ仏ヶ根で即死した。享年27。
 その後、死体を担ぎ上げて撤退しようとする森軍の兵士に大久保忠世配下の本多八蔵が追いすがり、森軍の兵を散らすが、徳川軍には「急時のため、首取るに及ばず」という指令が出ており、八蔵は長可を大将首とは思わずに鼻を削ぐと脇差を奪い取りその場を後にしてしまう。更にその後に別の武者がその死体に駆け寄り、首を取ると旗印を外して捨て、長可の羽織っていた白装束を脱がせ、それで首を包んで槍の先に付けて馬に乗り、武功を大声で誇りながらその場を立ち去ったが、実はこの武士は森家の田中某という小姓であったという。このため、長可の首は徳川軍に渡ることなく、金山に持ち帰られたという。金山の可成寺に墓所がある。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1584年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
森長可 G398 井伊直政 F442 水野勝成 G607
杉山孫六 **** 大久保忠世 F648 本多八蔵 F***

 

 

 

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