山崎城跡

やまざきじょうあと (Yamazaki Castle Ruins)

【C-AC340】探訪日:2020/11/13

【C-AC340】山崎城跡 愛知県安城市山崎町城跡

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-AC340】山崎城跡

   1543(天文12)年、織田信秀が築城し三木城を没収された松平信孝を入れて岡崎方の備えとした。松平清康の弟でもある信孝は、1535(天文4)年に清康が「守山崩れ」で没すると、幼少で家督を継いだ広忠の後見人を勤めたが、しだいに専横するようになり、岩津松平親長と合歓木城主松平康孝(信孝の弟)の所領を横領し宗家を脅かす存在となる。宗家の危機を感じた岡崎老臣衆は、病気の広忠に代わり、信孝を駿府(今川義元)の年頭参賀へ行かせ、その間に信孝の知行,屋敷を没収した。それを不服とした信孝は、織田信秀に与したため、松平方から追放された。
 1547(天文16)年、信孝は上和田城主松平忠倫,上野城主酒井忠尚らと織田軍として岡崎城攻撃に出陣し、1548(天文17)年、小豆坂の戦いを経て耳取縄手の戦いで広忠軍の矢に当たり戦死した。翌1549(天文18)年、今川義元,松平広忠の連合軍は織田信秀の勢力下にあった安祥城を攻略し、その際、山崎城も落城した。
 山崎城は測量調査によると、土塁と堀はほぼ方形にめぐっており、堀を含めた規模は南北約125m,東西約145mであったと推測される。現在、一部区域は山崎神明社の境内になっているが、土塁と社殿の背後に空堀が残っている。

【史跡規模】

【指 定】安城市指定史跡(1965年10月1日指定)
【国 宝】
【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1543年・1548年・1549年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
織田信秀 OD03 松平信孝 MT38 松平清康 MT01
松平広忠 MT01 松平親長 MT01 松平康孝 MT01
今川義元 G361 松平忠倫 MT12 酒井忠尚 SK01

 

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▲北西から見る

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▲山崎神明社入口

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▲入口の土塁

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▲入口の土塁

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▲山崎神明社

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▲神明社の立つ土塁から空堀を見る

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▲北東の隅櫓跡

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▲空堀を東側から見る

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▲空堀を西側から見る