欠城跡

かけじょうあと (Kake Castle Ruins)

【C-AC472】探訪日:2021/11/17

【C-AC472】欠城跡 愛知県西尾市西幡豆町貝吹

【MAP】

〔駐車場所〕

   掛城,幡豆城,磯城,寺部古城ともいう。築城年は定かではないが(室町時代か)、戦国時代には小笠原安元の居城であった。安元は当初は駿河国の今川氏に属したが、後に今川氏から独立した松平元康に従った。なお、三河平定を進める元康に対し、寺部城主・小笠原広重とともに戦いを挑んだ(走り付けの戦い)という言い伝えがあるが、本多忠勝の説得でほどなく元康側に与したという。1563(永禄6)年からの三河一向一揆では元康に味方し欠城を守備し、1564(永禄7)年には三河幡豆郡の旧領を安堵された。同年の三河吉田城攻めでは敵の進路を防ぐ船形山砦を守り、城将・大原資良の弟・大原勘介を討ち取る武功を上げている。
 1568(永禄11)年、武田氏の武将・秋山信友が遠江見附にまで進出した際、遠江馬伏塚城主の小笠原氏興が武田方に降伏しようとしたため、安元は家康の命を受け馬伏塚に赴いて氏興の説得に成功し、この功により三河国内に赤羽根,赤沢,蘆の3邑を加増された。
 1572(元亀3)年12月22日の三方ヶ原の戦いでは、小笠原家も大打撃を受け、安元の弟や嫡孫(安次長男の安広)など一族郎党7名が討死した。その後は隠退し、家督は子の安次が継いだが、安次も1582(天正10)年に伊豆三島での小田原北条氏との戦いで討死し、安次3男の広勝が跡を継いだ。安元は1589(天正17)年に80歳で死去し自身が開基した幡豆郡開戸の安泰寺に葬られた。
 翌1590(天正18)年、家康の関東移封に伴い、広勝も上総国周集郡へと移り、欠城は廃城となったとされる。
 城は中之郷古墳(穴観音)を中心に西南方向の海岸に迫って築かれていたとされるが、現在は住宅となり遺構は残されていない。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】

【国重文】

関連時代 戦国時代 安土桃山時代
関連年号 1563年・1568年・1572年・1582年・1589年 1590年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
小笠原安元 G462 松平元康 TG01 小笠原氏興 G454
小笠原安次 G462 小笠原広勝 G462

 

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