荒尾館跡(円覚稲荷)

あらおやかたあと(えんかくいなり)(Arao Residence Ruins[Enkaku Inari Shrine])

【R-AC053】探訪日:2022/4/11・2022/4/23

【R-AC053】荒尾館跡 愛知県北設楽郡設楽町荒尾根古谷

【MAP】

〔駐車場所〕和市清崎線沿いに圓覚稲荷の駐車場がある。

【R-AC053】荒尾館跡

   1435(永享7)年頃、菅沼三郎左衛門満成が岩古谷山山頂に岩古谷城を築いたが、平時は西麓の荒尾館に居住したといわれる。現在の館跡は菅沼伊豆守満直が祀った円覚稲荷となっており、境内には「菅沼伊豆守」と刻まれた石碑と宝篋印塔が建つ。円覚稲荷は、「円覚さま」と親しまれ、大事な物を失ってあきらめていても、ある日突然失物が戻ってくるという。
 1572(元亀3)年10月、武田信玄が徳川領国への侵攻(西上作戦)を開始すると、菅沼満直は菅沼正貞(甥の子)と共に武田氏に従い各地を転戦した。1573(天正元)年7月、信玄の死去に呼応して徳川軍が長篠城を攻撃した際には城を守備していた満直,正貞らは進退保証を条件に開城して鳳来寺に撤退した。この籠城戦で正貞は徳川氏に内通していたと疑われ、小諸城に幽閉されている。満直はその後、1575(天正3)年の武田勝頼による長篠城攻撃(長篠設楽原の戦い)に参加している。1582(天正10)年3月に武田氏が滅亡すると、織田・徳川方に降伏を申し入れるが、赦されず殺害された(跡を正直が継いだ)。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】
【国重文】

関連時代 室町時代 戦国時代

関連年号

1435年 1572年・1573年・1575年・1582年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
菅沼満成 G139 菅沼満直 G139 菅沼正貞 G139

 

【R-AC053】荒尾館跡  
 

 

【R-AC053】荒尾館跡

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【R-AC053】荒尾館跡

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▲円覚稲荷

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▲円覚稲荷

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▲円覚稲荷

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▲円覚稲荷後方の段

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▲菅沼満直の石碑と宝篋印塔

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▲北側の曲輪跡?

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▲曲輪跡

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▲曲輪横をはしる堀

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▲円覚稲荷南側の平坦地(曲輪跡?)

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