川手城跡

かわでじょうあと (Kawade Castle Ruins)

【C-AC498】探訪日:2022/5/3

【C-AC498】川手城跡 愛知県豊田市川手町シロ山

【MAP】

〔駐車場所〕登り口付近に十分な駐車スペースがある。

【C-AC498】川手城跡

   鎌倉時代末から南北朝時代初(1331~36年頃)にかけての動乱期に故郷を追われ、同族の足助氏を頼ってこの地に移住した山田頼範によって、1335(建武2)年に築城された。頼範は、承久の乱で宮方に属し京都で敗死した尾張の豪族・山田重忠の子孫である。頼範はこの地にて、足助氏,菜倉氏,永江氏と共に南朝方として戦った。その後も山田氏は代々続き、安土桃山時代の山田良行の代に井伊直政に仕えて彦根へ移り、川手城は廃城となった。
 城は標高390m,比高60mの尾根端近くに築かれ、規模は幅約120m,長さ約200mで背後を幅約15mの堀切で画している。堀切の北側には櫓台と思われる土塁があり、北側に主郭が続く。送電鉄塔が建つ所が二郭、民家がある区域が三郭とされる。主郭の北西端にも堀切が配されている。
 なお、山田頼範が最初に館を構えたところは川手城跡の南西約1kmほどの川手古城跡である。また、名倉川を挟んで東に位置する押山城は山田氏の支城とされる。

【史跡規模】

【指 定】豊田市指定史跡(1984年3月30日指定)
【国 宝】

【国重文】

関連時代 南北朝時代 安土桃山時代
関連年号 1335年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
山田頼範 G*** 山田良行 G***

 

【C-AC498】川手城跡
 以前の川手城説明板には「主郭に送電鉄塔が建てられている」と書かれていたので、すこし混乱したが、現在の鉄塔は主郭下に移されている。縄張図を見ると、確かに主郭に鉄塔が描かれていた(下図が主郭の鉄塔を消している)。

 

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【C-AC498】川手城跡 ※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)

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▲県道356号線からの登り口

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▲送電鉄塔の二郭に出る

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▲二郭から見た櫓台と堀切

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▲堀切

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▲堀切(櫓台の反対側から見る=前方が櫓台)

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▲堀切

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▲櫓台上

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▲櫓台からの恵那方面の眺望

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▲櫓台から主郭側を見る

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▲主郭から見た櫓台

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▲主郭

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▲主郭(櫓台下)

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▲主郭(櫓台下)

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▲主郭からの北の眺望

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▲主郭の北側を見る

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▲主郭の北側を見る

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▲主郭北端から櫓台側を見る

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▲主郭北の郭

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▲北西端の堀切

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▲北西端の堀切

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▲北西端の堀切

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▲堀切

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▲主郭から見た二郭

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▲主郭下の沢

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▲二郭南の土塁