押山城跡

おしやまじょうあと (Oshiyama Castle Ruins)

【C-AC507】探訪日:2022/5/8

【C-AC507】押山城跡 愛知県豊田市押山町瀧澤

【MAP】

〔駐車場所〕登り口にある「稲武押山老人憩いの家」の駐車場が利用可(地元行事がない場合)。

【C-AC507】押山城跡

   1556,7(弘治2,3)年頃、川手山田氏12代の山田景隆によって築かれたとされるが、城主は定かではなく、現在も当地に片桐姓の方が多いことから片桐氏の可能性も指摘されている。なお、同時期に景隆は遠江国へ退去した新田氏から武節古城を手に入れている。
 城は川手城の支城として名倉川の東にある城ヶ峯(標高約530m,比高190m)に築かれ、主郭(約140㎡)は北西から南東に向いた山頂平坦部で、その北側から東側,南側にかけて帯曲輪が付く。また、北西方向に川手城や美濃方面を一望できる矢倉平(矢倉砦跡)、南東方向に狼煙台とされる峯山砦跡がある。

【史跡規模】

【指 定】
【国 宝】

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1556,7年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
山田景隆 G***

 

【C-AC507】押山城跡
 下図の案内ルートに従えば、最後の急斜面以外は楽な登城コースである。ただ、下記の案内図は峯山砦跡山頂に置かれているため、ぜひ押山城登り口にも設置してほしいと思う(私はこの後に訪れた峯山砦跡山頂で入手)。登りは登城口からすぐのところで道を間違え(案内図とは違う道という意味で)、城址に向かって直接南下する尾根上のルート(道はない)に入ってしまった。ほどなく山頂が見えたので目指すところははっきりしたが、直登するには急な斜面の連続で前日に4ヶ所の山城を上った足には非常に過酷であった。木の根や幹,切株,岩を掴みながら何とかよじ登り、結局、下図の「北西は急な斜面」を最後に登ることになった。所要時間は約1時間。なお、下りは主郭にある矢倉平への案内矢印に従い、下記の案内図ルートをたどることができた。なお、写真はあたかも案内ルートに従って登ったかのように編集した。

 

【C-AC507】押山城跡

 

   
     押山城址登山道案内図(峯山砦設置パンフレットに加筆)

【C-AC507】押山城跡 ※本サイトの写真は転用可です(ダウンロードすると、より鮮明に見えます)

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▲登城口(青い屋根の建物の横から入る)

【C-AC507】押山城跡

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▲ここは真っすぐ(左を上ると距離は短いが難所)

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▲橋を渡る

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▲墓地に出る

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▲矢倉平と押山城址の分岐点(矢倉平は「矢倉砦跡」を参照)

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▲富士塚

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▲富士塚大明神

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▲最後の急勾配

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▲途中に、上から見る

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▲主郭

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▲主郭

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▲秋葉社

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▲主郭

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▲主郭

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▲土塁

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▲帯曲輪(南側)

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▲帯曲輪(南側)

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▲帯曲輪(東側)

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▲帯曲輪(東側)

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▲帯曲輪(北側)ら主郭を見る

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▲北西の急斜面(実際にはこれを登ってきたのだが)

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▲北西の急斜面(斜面途中から見る)

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▲矢倉平の方向を示す

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▲矢倉平,登り口へはここを下りる(=来たルート)

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▲押川大滝の駐車場から見た城ヶ峯

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▲県道257号線の川手バス停付近から見た城ヶ峯