朝護孫子寺

ちょうごそんしじ (Chogosonshi-ji Temple)

【T-NR044】探訪日:2018/10/30

【T-NR044】朝護孫子寺 奈良県生駒郡平群町信貴山2280−1 <📲:0745-72-2277>

【MAP】

〔駐車場所〕

【T-NR044】朝護孫子寺

   別称「信貴山寺」ともいう。伝承では、582(敏達天皇11)年に厩戸皇子が排仏派の物部守屋討伐の際にこの山を訪れ戦勝祈願すると、天空に毘沙門天王が現れた。寅の年,寅の月,寅の日,寅の刻だったという。その加護によって物部守屋に勝利した厩戸皇子は、587(用明天皇2)年7月3日に自ら刻んだ毘沙門天を本尊として当寺を創建し「信ずべき貴ぶべき山(信貴山)」と名付けたとする。寺の至る所に張り子の虎が置かれているのは、その所以である。
 910(延喜10)年には中興である命蓮上人によって伽藍が整備された。また、命蓮が病にあった醍醐天皇の病気平癒のため祈祷を行ったとして、天皇によって「朝廟安穏・守護国土・子孫長久」の祈願寺とされ「朝護孫子寺」の勅号を賜った。この頃には、山内に66の塔頭寺院を擁する寺勢を誇ったと伝わる。
 戦国時代には木沢長政によって信貴山頂に信貴山城が築かれた。1577(天正5)年、当時の城主・松永久秀は突如、織田信長に反旗を翻し信貴山城に立て籠ったが、織田信忠を総大将、筒井勢を主力とした10万の軍勢に完全包囲させ、名器・古天明平蜘蛛とともに爆死し、当寺も堂塔六十余宇が全焼した。その後、1602(慶長7)年、豊臣秀頼が本堂を再建し、1610(慶長15)年には伽藍の再興が完成した。
 現在は本堂(毘沙門堂)と千手院,玉蔵院,成福院の塔頭3院が残されている。また、命蓮の奇跡譚が中心主題として描かれた国宝『信貴山縁起絵巻』は12世紀の成立とされ、日本の絵巻物の代表作とされている。

【史跡規模】

【指 定】平群町指定史跡
【国 宝】紙本著色信貴山縁起絵巻
【国重文】・金銅鉢(延長7年銘)
     ・武器類(兜,袖,喉輪)

関連時代 飛鳥時代 平安時代 戦国時代 安土桃山時代 江戸時代:前期
関連年号 582年・587年 910年 1577年 1602年 1610年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
厩戸皇子 K303 命蓮上人 **** 醍醐天皇 K323
木沢長政 **** 松永久秀 **** 織田信忠 OD04
筒井順慶 MW21 豊臣秀頼 ZZ01

 

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    朝護孫子寺境内案内図(朝護孫子寺ホームページより)

信貴山縁起絵巻

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▲【転載】仁王門

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▲【転載】本堂

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▲本堂入口

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▲戒壇巡り入口

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▲千手院

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▲千手院護摩堂

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▲千手院観音堂

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▲成福院

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▲玉蔵院

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▲開山堂

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▲命蓮塚

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▲命蓮塚

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▲虚空蔵堂

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▲多宝塔

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▲経蔵堂