五葉城跡

ごようじょうあと (Goyo Castle Ruins)

【C-AC547】探訪日:2022/12.8

【C-AC547】五葉城跡 愛知県新城市富岡南川

【MAP】

〔駐車場所〕林道南川線を門扉で遮されているところまで行くと駐車スペースがある。

【C-AC547】五葉城跡

   1561(永禄4)年、桶狭間の戦いの翌年、今川方から離反し松平元康(徳川家康)に属した西郷氏によって築かれたとされる。三河東端を領していた西郷正勝は五本松城を築城して三河西郷氏の本城とするとともに、その支城として五葉城を標高348m(比高220m)の山頂に築き、東への備えとした。城主に西郷孫六郎清員の名がある。しかし、翌1562(永禄5)年、離反に激昂した今川氏真に攻められ落城し、西郷正勝は五本松城に自ら火をかけ自害した。長男で月ヶ谷城主であった孫六郎元正も討死した(清員は生き延びている)。
 また、このとき同じく今川氏を見限って松平方になった野田城主・菅沼定盈も野田城を追われ、親戚関係の西郷氏を頼って五葉城の南東約400mに高城砦を築いていたが、今川氏に攻められた落城した。定盈は生き延びて、夜襲で野田城を奪還している。
 城跡には三方を低い土塁と堀が巡る主郭(東西35m,南北14~28m)と、その南側の一段低いところに二の曲輪(10m四方)があり、主郭から北方に100mほどのところには出丸跡が残されている。

【史跡規模】

【指 定】新城市指定史跡(1963年1月1日指定)

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号

1561年・1562年

関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
西郷正勝 F623 西郷清員 F623 西郷元正 F623
菅沼定盈 G140 今川氏貞 G361

 

【C-AC547】五葉城跡
 車を門扉の手前のスペースに停め、そこからは徒歩で城跡へ上る。城跡までは2.6Km、なだらかな林道で車が通れる道幅である。40~50分ほどで五葉城跡には到着。さらに南東の高城砦跡へは5,6分で行ける。高城砦跡の方が堀切,土塁と城跡の雰囲気を味合うことができるかもしれない。

 

【C-AC547】五葉城跡

五葉城,高城砦要図(『愛知県中世城館趾調査報告』に加筆)

【C-AC547】五葉城跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

門扉の先を進む 城跡まで2.5Km あと1.5Km地点 あと1.5Km地点付近からの眺望 五葉城跡と宇利峠方面との分岐点 五葉城跡曲輪下(左:五葉城跡・右:高城砦跡) 主郭へ 途中の右側に二の曲輪がある 二の曲輪 主郭 主郭側から見た虎口 主郭 主郭 主郭 主郭東側の土塁 主郭からの東方面の眺望(富士山が見える方向) 主郭からの北方面の眺望 主郭からの北西方面の眺望 主郭からの西方面の眺望 出丸への入り口 出丸 出丸 出丸 出丸からの北面の眺望(左下に五葉湖)