西阿知和城跡

にしあちわじょうあと(Nishi Achiwa Castle Ruins)

【C-AC627】探訪日:2023/7.3

【C-AC627】西阿知和城跡 愛知県岡崎市西阿知和町中根124-2

【MAP】

〔駐車場所〕

【C-AC627】西阿知和城跡

   1421(応永28)年、松平宗家3代・松平信光が松平郷から岩津へ進出し岩津城主になった際、弟の信季が阿知和城を築いたとされ、阿知和右衛門大夫と改名した。その後、代々阿知和氏が居住したと伝わる。1571(元亀2)年に武田軍が三河に侵攻して岡崎に迫ったときには、阿知和右衛門が百々城の青山忠門などと共に真福寺付近で戦った。天正年間(1573~92年)に、兵火により焼失し廃城となったという。
 城は矢作川の支流・青木川と真福寺川の合流点に突き出した標高40m,比高10mの低台地上とその周辺と考えられており、主郭跡とされる台地上には、昭和に入り、落城したときに亡くなった人々の供養として大照院が建てられている。遺構はほとんど残されていないが、土塁の一部と思われる高まりと周囲には腰曲輪や堀跡を連想される地形が見受けられる。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 室町時代 戦国時代
関連年号 1421年 1570~72年・1573~92年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
松平(阿知和)信季 MT01 阿知和右衛門 MT01

 

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南西からの遠景 北東からの遠景 城跡西側の斜面(切岸) 土塁跡 大照院 大照院 北側から登ってみた 腰曲輪? 大照院の後方 大照院の後方 大照院の後方 大照院の後方 戦で亡くなった者たちの墓