東大寺
とうだいじ(Todai-ji Temple)
【T-NR017】探訪日:2008/3.29・2025/12.13
奈良県奈良市雑司町406-1 <📲:0742-22-5511>
【MAP】
〔駐車場所〕
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『東大寺要録』によれば、733(天平5)年に若草山麓に創建された金鐘寺(または金鍾寺)を東大寺の起源としている。一方、『続日本紀』によれば、728(神亀5)年、聖武天皇と光明皇后が幼くして亡くなった皇子・基王の菩提を弔うため、山房に9人の僧を住まわせたことが金鐘寺の前身とし、金鐘寺には、8世紀半ばには羂索堂(現・法華堂=三月堂),千手堂が存在したことが記録から知られている。741(天平13)年、国分寺建立の詔が発せられ、翌年、金鐘寺は大和国の国分寺兼総国分寺と定められ、寺名は金光明寺と改められた。
本尊である盧舎那仏坐像(東大寺大仏)は745(天平17)年から造像準備が開始され、752(天平勝宝4)年に開眼供養会が実施された。そののち、金堂(以下、大仏殿)が758(天平宝字2)年に完成している(大仏と大仏殿については【T-NR017a】を参照)。
東大寺は正式には金光明四天王護国之寺ともいい、聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。開山(初代別当)は良弁。当初は、紫香楽宮の近くの甲賀寺に造られる計画であったが、不穏な出来事が続いたため、都も平城京へ戻すとともに、大仏も現在の地での造立が開始された。この大事業を推進するには幅広い民衆の支持が必要であったため、朝廷から弾圧されていた行基を大僧正として迎え、協力を得た。延べ260万人が工事に関わったとされる。開眼導師はインド出身の僧・菩提僊那が担当した。東大寺では大仏創建に力のあった良弁,聖武天皇,行基,菩提僊那を「四聖」と呼んでいる。
奈良時代の東大寺の伽藍は、南大門,中門,大仏殿,講堂が南北方向に一直線に並び、講堂の北側には東・北・西に「コ」の字形に並ぶ僧坊、その東には食堂があり、南大門と中門の間の左右には東西2基の七重塔(推定高さ約70m以上)が回廊に囲まれて建っていた。745年の起工から、伽藍が一通り完成するまでには40年の歳月を要している。
東大寺は落雷・暴風雨・失火や中世以降の2度の兵火で多くの建物を焼失した。兵火とは、1181(治承4)年の平重衡の南都焼討ちと1567(永禄10)年に起きた東大寺大仏殿の戦いである。南都焼討ち後の再建には、俊乗房重源が東大寺勧進活動を行い、1185(文治元)年に大仏開眼供養、1190(建久元)年に大仏殿が再建された。松永久秀・三好義継と三好三人衆・筒井順慶らの東大寺大仏殿の戦い(多聞山城の戦いとも)では出火原因は諸説あるが、再建は江戸時代に入ってからで、大仏は、1692(元禄5)年に開眼供養が行われた。大仏殿は、1709(宝永6)年に落慶法要が行われ、これが現在の建物である。江戸時代初期に大仏再建の機運が高まらなかったのは、方広寺に往時の東大寺大仏・大仏殿に匹敵する規模のそれが既に造立されていたためと推測される。方広寺の大仏(3代目)は1798(寛政10)年まで存続していたが、落雷で焼失している。
南大門は962(応和2)年8月に台風で倒壊後、鎌倉時代の1199(正治元)年に復興された。東大寺中興の祖である俊乗房重源が宋から伝えたといわれる大仏様(天竺様)という建築様式を採用した建築で、「貫」と呼ばれる柱を貫通する水平材を多用して構造を堅固にしていること、天井を張らずに構造材をそのまま見せて装飾としていることなどが特色として挙げられる。門内左右には金剛力士(仁王)像と石造獅子1対を安置する。金剛力士像は高さ8.4mの巨大な木像で、1203(建仁3)年にわずか69日で造られた。門の向かって右に吽形、左に阿形を安置しており、一般的な仁王像の安置方法とは左右逆である。制作にあたっては運慶が総指揮をとり、制作現場では運慶,快慶,定覚,湛慶らが関わっていた。
大仏殿東方に位置する二月堂は旧暦2月に「お水取り」(修二会)が行われることからこの名がある。前述の2回の戦火では焼け残ったとされるが、1667(寛文7)年にお水取りの最中に失火で焼失し、2年後に再建されたのが現在の建物である。本尊は大観音,小観音と呼ばれる2体の十一面観音像であるが、見ることが許されない絶対秘仏である。建物の西側は急斜面になっており、懸崖造りで立てられている。
若草山麓にある数少ない奈良時代建築の一つである法華堂(三月堂)は、天平仏の宝庫として知られる。創建当時は羂索堂と呼ばれ、東大寺の前身寺院である金鐘寺の堂として建てられたもので、創建時期は740(天平12)年から748(天平20)年頃と推定されている。建物の北側の正堂には本尊の不空羂索観音立像はじめ、梵天・帝釈天立像,金剛力士・密迹力士立像,四天王立像の計9体の乾漆像と、塑造の執金剛神立像を安置する。乾漆不空羂索観音立像(高さ3.62m)は三眼八臂(額に縦に第3の目があり、8本の腕を持つ)の観音像で、法華堂の本尊として内陣中央の須弥壇上に安置されている。頭上の宝冠は、正面に銀製の阿弥陀如来像を飾り、数多くの宝石や透かし彫りで飾った華麗なもので、奈良時代工芸の優品として知られる。
このほか、境内には大仏殿の北に講堂跡、さらに北に正倉院、西には戒壇堂などがある。
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【史跡規模】
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【指 定】・国指定史跡:東大寺旧境内,東大寺東南院旧境内(1934年3月13日指定) 【国 宝】 gg<建造物> |
| 関連時代 | 奈良時代 | 平安時代:後期 | 戦国時代 | 江戸時代:前期 |
| 関連年号 | 728年・733年・752年 | 1181年 | 1567年 | 1692年・1709年 |
| 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 | 関連人物 | 系図 |
| 聖武天皇 | K308 | 光明皇后 | F001 | 基王 | K308 |
| 良弁 | **** | 行基 | **** | 菩提僊那 | **** |
| 平 重衡 | H107 | 重源 | **** | 松永久秀 | ZZ02 |
| 公慶上人 | **** |
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東大寺境内案内図(東大寺ホームページより)

東大寺国宝(仏像・彫刻)の一部