竹中氏陣屋跡

たけなかしじんやあと(Takenaka Jinya Ruins)

【R-GF024】探訪日:2026/4.25

【R-GF024】竹中氏陣屋跡 岐阜県不破郡垂井町岩手619-2

【MAP】

〔駐車場所〕近くに観光用駐車場がある。

   1588(天正16)年、竹中重門(竹中半兵衛の子)によって築かれたとされる。元々、竹中氏の居城は菩提山城であったが、平時には不便なことから、麓に居館を築いた。安土桃山時代には岩手城と呼ばれていたが、江戸時代に竹中氏が旗本となったため、城は陣屋と呼ばれるようになった。岩手陣屋とも呼ばれる。なお、1607(慶長12)年に築かれたという説もある。
 したがって、陣屋とは言え、1636坪の敷地を囲む大規模な堀(水堀など),土塁と石垣などがあり、城の体を為している。特に正門となる櫓門は大手の間口10.9m,奥行5.45mの木造白壁塗りの荘厳な門である。明治にはいると学制発布により、菁莪義校(岩手小学校の前身)の正門として転用された。政府による幕府建造物破壊令が出されたときには、「櫓門は菁莪学校の校門である」と主張して破壊を免れ、文化財として現在に至っている。
 なお、陣屋跡から北400mほどの禅幢寺には、竹中半兵衛重治の墓所がある。

【史跡規模】

【指 定】岐阜県指定史跡(1956年3月28日指定)
【国 宝】
【国重文】

関連時代 戦国時代 江戸時代:前期
関連年号 1588年 1607年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
竹中重門 G144


【R-GF024】竹中氏陣屋跡  



【R-GF024】竹中氏陣屋跡

【R-GF024】竹中氏陣屋跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

櫓門 櫓門の北側(一部石垣が崩れている) 櫓門南側(左側)の水堀:石垣が後世に積まれたとか 竹中半兵衛像(陣屋とは時代が異なるが) 櫓門をくぐって陣屋敷地内にはいる 櫓門の石垣上から見た水堀