西首塚〔関ヶ原古戦場〕
にしくびづか〔せきがはらこせんじょう〕(West Kubi-zuka;Mound for Severed Head [Historic Battlefield of Sekigahara])
【B-GF001a04】探訪日:1990/6.3・2026/4.25
岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原2236
【MAP】
〔駐車場所〕
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1600年(慶長5)年10月21日(9月15日)に関ヶ原の戦いにおいて戦死した兵士たちを東軍西軍区別なく埋葬した塚のひとつである。東首塚と同様、徳川家康の命により、当時この地の領主であった竹中重門が戦死者を埋葬し塚を築いた。現在は高さ2m,周囲30m程の塚であるが、当時は、その戦死者数からみて現在より相当な規模であったと思われる。西首塚は別名「胴塚」とも呼ばれる。
午前8時頃に開戦し、午後2時頃には西軍の敗北がほぼ決定的となり、天下分け目の合戦もわずか6時間余りで終結を迎える。戦死者数は諸説あり定かではないが、西軍8,000~32,600、東軍4,000~10,000ともいわれ、両軍合わせて、10,000を超える数である。徳川家康は合戦後、床几場で首実検を行った後、竹中重門に米1,000石を与えて領地に迷惑を及ぼしたことを謝するとともに、戦場の死体を収拾して首塚を造ることや、損害を受けた社寺の修復を命じた。
西首塚は西軍関連の首塚、東首塚は東軍関連とする説もあるが、区別は困難であり両軍区別ない埋葬されたものと思われる(小牧長久手の戦いなど過去の主な合戦も同様)。塚の正面にある御堂は、地元の奉納により千手観音と馬頭観音が安置されている。