村上義隆墓所
むらかみよしたか ぼしょ(Grave of Murakami Yoshitaka)
【K-NR215】探訪日:2026/11.1
奈良県吉野郡吉野町左曽
【MAP】
〔駐車場所〕
![]()
1333(元弘3/正慶2)年閏2月1日、吉野山での鎌倉幕府方との戦いで護良親王の敗走を食い止めた後に自害した村上義隆の墓所である。
軍記物語『太平記』によれば、閏2月1日早朝からの二階堂道蘊(貞藤)率いる鎌倉幕府軍の吉野城総攻撃で、義隆は父・村上義隆とともに蔵王堂本営で死のうとしたが、父から護良親王を護衛するよう説得され、本営を脱出した護良親王の一行に加わった。一行は勝手明神の前から南の方へ落ち延びていくが、南方から回り込んできた吉野執行・岩菊丸(新熊野院の主僧と思われる)の手勢500余が親王の行く手を阻んで包囲の輪を縮めてきた。
親王と行動を共にした義隆は、迫る岩菊丸の手勢を目のあたりにして、ここで食い止めようと決意し細道に立ちふさがり、迫り来る岩菊丸500余の追撃を1時間ほど食い止めたが、やがて力尽き、竹藪の中に走り入り腹を切って自害したという。道路脇に墓標が建てられている。