麻生城跡
あそうじょうあと(Aso Castle Ruins)
【C-AC295】探訪日:2020/3.25・2023/5.2
愛知県岡崎市桜形町向
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年,築城者は定かではないが、現在の松平助十郎御先祖墓所の後方が城跡に比定されている。
『三河国二葉松』には城主に麻生内蔵助の名がみえるが、1415(大永22)年、親氏の「中山七名(秦梨・田口・岩戸・麻生・大林・名之内・柳田)」買得で落城。その後は天野弥九郎隆正,天野源太郎貞氏,倉橋太郎左衛門重忠らが城主となる。
1487(長享元)年、三河国加茂郡滝脇の松平乗清(滝脇城主)が作手奥平氏の日近城構築に対抗して麻生の天野景孝を攻め、乗清の子の親正をこの地に入れて麻生松平家を興した。その後、親正-清房-正忠-正勝と続くが、1590(天正18)年の徳川家康関東移封に伴い、廃城となった。なお、松平助十郎正勝は1615(元和元)年の大坂夏の陣で討死し、この地に葬られた。