神戸城跡

かんべじょうあと (Kanbe Castle Ruins)

【C-ME006】探訪日:1990/8/25・2021/10/6

【C-ME006】神戸城跡 三重県鈴鹿市神戸5丁目10-22

【MAP】

〔駐車場所〕城址北側に駐車場がある。

【C-ME006】神戸城跡

   築城年代は定かではないが、1550(天文19)年頃に神戸氏4代の神戸具盛が築城し沢城(神戸西城)から移ったとされる。神戸氏は伊勢平氏関氏の一族で、関盛澄が鈴鹿郡と河曲郡内二十四郷を領して沢城を築き神戸氏の祖となった。
 1567(永禄10)年、神戸友盛のとき、織田信長の家臣滝川一益の侵攻を受けたが、高岡城に籠もった山路弾正がこれを凌いだ。翌年にも織田氏が攻め込み、神戸友盛は信長の三男信孝を養子として迎えることで和睦となった。
 1580(天正8)年、神戸信孝は神戸城を拡張して五重の天守を設けた。天守は5重6階で北東に小天守と南西に付櫓がある複合連結式の天守であったことが確認されている。後に解体され桑名城に三重櫓として移築されている(神戸櫓と呼ばれた)。1582(天正10)年には信孝は四国攻めの総大将として堺にて渡航の準備をしていたが、本能寺の変により中止となり、羽柴秀吉に合流して明智光秀を討った。その後、信孝は岐阜城に移り神戸城には小島兵部が入った。信孝はその後、賎ヶ岳合戦に際して柴田勝家と結んで岐阜城で挙兵したが、秀吉によって岐阜城が攻められ降伏して開城し、知多の野間大坊で自刃している(織田信孝墓所)。
 その後も城主は水野忠重,滝川雄利と変わり、江戸時代には一柳直盛の後に一時破却され天領となったが、石川氏が城主を務めた以降は本多氏7代が明治維新まで城主となった。
 城跡は公園として整備され、本丸には野面積みの天守台および堀の一部が残されている。二の丸跡には三重県立神戸高等学校が建つ。また、二の丸太鼓櫓が市内東玉垣町の蓮花寺の鐘楼として、大手門が四日市市西日野町の顕正寺山門(1990年3月30日市史跡指定)にそれぞれ移築されている。

【史跡規模】

【指 定】三重県指定史跡(1937年12月14日指定)
【国 宝】

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1550年・1567年・1568年・1580年・1582年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
神戸具盛 H108 関 盛澄 H108 滝川一益 KI43
山路弾正 **** 神戸友盛 H108 神戸(織田)信孝 OD03
小島兵部 **** 水野忠重 G606 滝川雄利 G821
一柳直盛 OC10 石川総長 G394 本多忠統 F509

 

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▲本丸

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▲本丸

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▲天誅組を支援し自刃した吉川治太夫の碑

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▲天守台

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▲天守台

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▲天守台石垣(野面積み)

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▲天守台の上

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▲天守台から本丸を見る

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▲本丸の土塁

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▲土塁の上

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▲一部残された内堀

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▲神戸城太鼓櫓が移築された蓮花寺

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▲太鼓櫓でつくられた蓮華寺鐘楼

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▲神戸城大手門を移築した顕正寺山門

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▲神戸城城門を移築した亀山製絲室山工場正門

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