野間大坊

のまだいぼう (Noma-Daibo Temple) 

【T-AC011】 探訪日:1990/7.30・2007/8.25・2014.3/9・2021/6.8・2024/1.29

【T-AC011】野間大坊 愛知県知多郡美浜町大字野間東畠50

【MAP】

〔駐車場所〕参詣者用駐車場がある。

   詳しくは鶴林山無量寿院大御堂寺と称し、本尊は阿弥陀如来。『大御堂寺縁起』には、天武天皇の時代に役小角が建立し、聖武天皇の時代に行基により中興されたと伝えられる。その後、空海が知多半島を訪れた際に一千座の護摩を炊き庶民の幸福を祈ったといわれる。また、承暦年間(1077~81年)に白河天皇の勅願寺となり、このとき大御堂寺と称せられたという。
 野間大坊には源義朝の墓がある。1159(平治元)年、平治の乱に敗れて東海道を下ってきた義朝は、随行していた鎌田政清の舅である長田忠致の許に身を寄せるが、忠致,景致父子が平家からの恩賞目当てに入浴中の義朝を騙し討ちした。
 寺伝では、源頼朝は上洛途上に寺に立ち寄り菩提のための寄進を行い、伽藍を整備し、自らの守本尊である地蔵菩薩像を安置したという。時代が下り、豊臣秀吉や徳川家康からの庇護も受けてさらに発展した。
 現在、境内東寄りに頼朝が造営させたという大門、その正面に本堂があり、境内西寄りに客殿(本殿:野間大坊)がある。本堂は入母屋造の瓦葺きで1754(宝暦4)年建立。客殿は入母屋造銅板葺きで平面は方丈形式。江戸時代初期の建立。延命地蔵と称される地蔵菩薩像を安置する。
また、鎌倉幕府5代将軍・藤原頼嗣の寄進による梵鐘(国重文)などが現存している。
 なお、境内には源義朝墓所のほか、鎌田政家墓所,平康頼墓所,織田信孝墓所がある。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】・梵鐘(1250年の銘)

     ・絹本着色義朝最期図,頼朝先考供養図

関連時代 飛鳥時代 奈良時代 平安時代:前期 平安時代:中期 平安時代:後期
関連年号 1077~81年 1159年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
役小角 **** 行基 **** 空海 SE01
白河天皇 K328 源 義朝 G202 鎌田政家(政清) F939
長田忠致 H301 長田景致 H301 源 頼朝 G202
豊臣秀吉 ZZ01 徳川家康 TG01 藤原頼嗣 F712
平 康頼 NK** 織田信孝 OD03

 

【T-AC011】野間大坊
  

 

【T-AC011】野間大坊

<源義朝横死に関係する周辺の史跡>

史 跡 No. 概   要
長田屋敷跡 R-AC045 義朝を暗殺した長田忠致,景致父子の屋敷跡
源義朝横死の湯殿跡 Z-AC060 義朝が入浴中に騙し討ちされた湯殿跡
乱橋跡 Z-AC061 主君の義朝を殺害された家臣らと長田勢が戦ったところ
野間大坊 T-AC011 殺された源義朝と鎌田政清の墓や義朝の首を洗ったとされる「血の池」がある
源義朝墓所 K-AC009 野間大坊にある源義朝の墓所
鎌田政清墓所 K-AC010 野間大坊にある鎌田政清(政家)の墓所
長田父子磔の松 Z-AC035 義朝の子の源頼朝によって長田父子が磔にされた場所
鎌田政清屋敷跡 R-AC075 もとは鎌田政清の屋敷があったとされる正法寺

【T-AC011】野間大坊 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

大御堂寺大門 大御堂寺大門 鐘楼堂 鐘楼堂 平康頼の墓とされる供養塔 大御堂寺本堂 大御堂寺本堂 本四国巡拝路 本四国巡拝路 悠紀殿 野間大坊客殿 野間大坊客殿 お砂踏み 源義朝墓所 鎌田政家夫妻の墓所 池の禅尼の塚 織田信孝墓所 義朝の首を洗った「血の池」