奥田城跡
おくだじょうあと(Okuda Castle Ruins)
【C-AC686】探訪日:2025/7.3
愛知県稲沢市奥田堀畑町113
【MAP】
〔駐車場所〕
築城年は定かではないが、応永年間(1394~1427年)に斯波守満種の子・斯波持種が初代奥田城主となったとされる。また、弟・斯波氏種が尾張国中島郡奥田庄の領主となり、奥田氏を称したともいう。
その後、奥田城には織田大和守敏定の孫・織田定宗が入り、飯尾家を継いで飯尾近江守と称した。織田信秀時代からの一門衆で、1560(永禄3)年の桶狭間の戦いには、息子の尚清とともに信長の鷲津砦に布陣したが、今川方の朝比奈泰能,井伊直盛の攻撃を受けて討死した。尚清は生還し、その後も信長に仕えたが、1591(天正19)年に年嫡子無く没した。家督は弟の飯尾重宗が相続したが、加賀国へ移って後に廃城になったとされる。なお、奥田氏種の後裔の奥田三河守忠高は天文年間(1532~55年)に大和国に畑城を築き、松永久秀に仕えた後、織田信長,豊臣秀吉、そして徳川家康に仕え、旗本として取り立てられている。
城は現在の堀畑神社辺りにあったとされ、遺構は残されていない。