雉子山城跡

きじやまじょうあと(Kijiyama Castle Ruins)

【C-AC569】探訪日:2023/2.27

【C-AC569】雉子山城跡 愛知県豊橋市畑ケ田町雉山

【MAP】

〔駐車場所〕

   築城年は定かではないが、寛正年間(1460~66年)、地頭の富田弾正が居城とし、後に畔田城主一族の畔田右門が領主として居城したと伝えられている。畔田氏は渥美郡に土着し畔田城を居城としていたが、応仁の乱以降、渥美郡は郡代の一色七郎政照を抑えた戸田氏の支配するところとなり、畔田氏も戸田氏の被官となったと考えられる。しかし、1546(天文15)年、この頃には遠江を平定していた今川義元は、東三河へと侵攻し戸田宣成の今橋城、その翌年には戸田氏の本拠・田原城を落した。いきさつは不明であるが、天文・弘治(1532~58年)の頃には、畔田氏は今川氏に属している。そして、畔田城を本城として、雉子山城はじめ草間城,中瀬古城,上地城に一族を配して勢力を張ったという。
 1560(永禄3)年の桶狭間の戦いで今川義元が討たれ、今川氏の影響力が東三河から失われると、畔田氏は1564(永禄7)年頃に遠江平川郷に落ちていった。この頃、雉子山城も廃城になったと思われる。
 城は梅田川とその支流の合流点の丘陵上に築かれ、後に城濠を構えて150m×100m規模の要害の地としたとされる。現在は河川改修により大半が削られ、畑地,宅地に変わり、遺構は残されていない。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代

室町時代

戦国時代
関連年号

1460~66年

1546年・1526年・1560年

関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
富田弾正 **** 畔田右門 **** 今川義元 G361
戸田宣成 F529

 

【C-AC569】雉子山城跡
 

 

【C-AC569】雉子山城跡

【C-AC569】雉子山城跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)