塩買坂古戦場

しおかいざかこせんじょう(Historic Battlefield of Shiokaizaka)

【B-SZ005】探訪日:2026/4.12

 静岡県菊川市高橋497

【MAP】

〔駐車場所〕石灯篭前の空き地(小さな地蔵が立つ)もしくは正林寺の駐車場を利用する。

   1476(文明8)年4月、今川家6代当主・今川義忠は勝間田城の勝間田修理亮と横地城の横地四郎兵衛を討伐し帰途の夜、遠江塩買坂にて両氏の残党による襲撃に遭い、矢に当たり戦死した。
 塩買坂は、「塩の道」と呼ばれる秋葉街道の通過点で、菊川市磯部の集落から東へ牧之原台地の新野原に至る坂道を指す。現在は県道69号線(相良大須賀線)が通る。緩やかな坂道の途中に「開基今川義忠公・古戦場」の文字が刻まれた大きな石灯籠がある。
 1461(寛正2)年に父・今川範忠の危篤を受けて駿河守護職を継承したが、遠江守護職の斯波氏とは長年にわたり対立が続いていた。1474(文明6)年には斯波氏の被官となった狩野氏によって奪われていた見附城攻略のために遠江へ出陣し、狩野宮内少輔を自害に追い込み、曳馬城主で三河吉良氏被官の巨海新左衛門尉を三河へと追いやった。
 しかし、1475(文明7)年には再び斯波義良(義廉の後の遠江守護)に見附城を奪われ、東遠の国人・横地氏と勝間田氏が入って城を修復し今川勢との戦いに備えていた。
 1476(文明8)年、今川義忠は久野佐渡守,奥山民部少輔,杉森外記,三浦左衛門,岡部五郎兵衛ら500余騎を率いて見附城を攻め、7日で落城させ、籠城していた横地四郎兵衛と勝間田修理亮は討死して果てた。勝間田城と横地城(金寿城)も落とした、その帰途、塩買坂の古道を進んでいたとき、横地氏と勝間田氏の残党に不意を襲われ、馬上から指揮していた義忠は、脇に深く流れ矢を受け翌日に没した。義忠を守って討死した今川家臣十八士の中には、引馬城主を任された飯尾長連や先導役を務めたとされる新野の天ヶ谷城主・高橋左近将監らがいる。
 1517(永正14)年、7代当主・今川氏親が父の戦没の地である塩買坂に国源山昌桂寺(現在の正林寺)を建立した。寺内の西側墓地に義忠の五輪塔がある。
 なお、異説には、横地城で敗走した義忠が、南にある今川氏方の新野城に落ち延びる途中で討たれたとする説もある。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 室町時代
関連年号 1476年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図

今川義忠

G360 飯尾長連 MS02 高橋左近将監 ****


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「開基今川義忠公・古戦場」の刻字がある ここを入る(下がる)と正林寺