伊奈城跡

いなじょうあと (Ina Castle Ruins)

【C-AC220】探訪日:2020/3/12・2023/4.27

 愛知県豊川市伊奈町深田18

【MAP】

〔駐車場所〕

   別名は上嶋城。築城年代は定かではないが、享徳年間(1452~55年)に本多定忠,定助によって築かれたとされる。本多氏は約150年間、ここを拠点として今川氏,松平氏そして徳川氏に属し各地を転戦する。
 3代・本多正時は1479(文明11)年の松平信光の安祥城攻めに、4代・本多正助は1524(大永4)年の松平清康の岡崎城攻めに、6代・本多忠俊は雨山合戦に参戦。7代・本多忠次は1564(永禄7)年の三河吉田城攻め,1570(元亀元)年の姉川の戦い,1575(天正3)年の長篠の戦い,1581(天正9)年の高天神城攻めに参戦している。そして、1590(天正18)年の徳川家康の関東移封にともない、8代・本多康俊も下総国小篠に5千石で移封となり、廃城となった。
 なお、徳川家の「三葉葵」の紋は、5代・本多正忠のとき松平清康が三河吉田城攻めの勝利の祝杯を伊奈城で挙げた際に、本多家家紋「立葵」の紋が気に入り、譲り受けたことに始まるといわれている。「三葉葵」発祥の城である。
 城跡は現在、公園となり物見櫓が復元され、北端には高い土塁が東西に横たわっている。また、西隅に生念台(武者を葬り礼拝する所)跡が発見されている。

【史跡規模】

【指 定】豊川市指定史跡(1997年3月3日指定)

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 南北朝時代 戦国時代 安土桃山時代
関連年号 1452~55年 1524年・1564年・1570年・1575年 1590年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
本多定忠 F525 本多定助 F525 本多正時 F525
本多正助 F525 本多正忠 F531 本多忠俊 F531
本多忠次 F531 本多康俊 F531 松平清康 MT01

 

 

 

【C-AC220】伊奈城跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

南からの遠景 南からの遠景 西からの遠景 東からの遠景 土塁上の城址碑 北側の土塁 土塁上 土塁上 土塁上から見た東側 主郭 建物礎石の復元 井戸跡 生念台跡 東の虎口 堀跡と土塁の東端 堀跡 堀跡 土塁の北側