仏坂古戦場
ほとけざかこせんじょう(Historic Battlefield of Hotokezaka)
【B-SZ003】探訪日:2023/2.4
静岡県浜松市北区引佐町伊平
【MAP】
〔駐車場所〕
1572(元亀3)年10月22日、武田信玄の西上作戦において、信玄とは別の三河侵攻ルートをとった山県昌景の別働隊は、武節城,長篠城を攻略し柿本城を開城させたのち、遠江に侵攻し井平城に向かった。柿本城を退いた鈴木重好,鈴木権蔵重俊,近藤秀用,井平直成ら井伊勢は井平城へ入っていたが(兵500)、追撃してきた山県軍4,000と城から約800m離れた仏坂の地で激戦となる。戦いでは井平直成と鈴木権蔵(享年22)が鉄砲で撃たれ戦死し、井平城も山県軍が攻め入り焼け落ち、井伊勢は大崩れとなった。両軍合わせて88人の武将が戦死したとされる。また、井伊直成の母も敗戦を知って自害したといわれている。井伊勢残兵は山中に3日間隠れたのち、浜松城の徳川家康に合流した。