田代城跡

たしろじょうあと(Tashiro Castle Ruins)

【C-AC176】探訪日:2017/6.4・2024/3.10

【C-AC176】田代城跡  愛知県豊田市下山田代町入北切13

【MAP】

〔駐車場所〕路駐もしくは近くのドラッグストアに停めさせていただく。

【C-AC176】田代城跡

   築城年,築城者は定かではないが、城主として森外記,松平主税,松平甚五左衛門の名が伝わる。1551(天文20)年、城主の松平道久(主税と同一人物か不明)は今川義元への服従に至っておらず、今川勢3000余騎の来襲を受け苦しい防戦を強いられた。さらに翌1552(天文21)年7月、再び今川方の朝比奈勢2500余騎の攻撃を受け戦わずして降参した。今川義元の討死後、今川から独立した松平元康は2000余騎で田代城を攻め、松平道久父子は降服し元康の麾下に属した。1571(元亀2)年または1574(天正2)年、武田勝頼によって攻め落とされたという。
 城は西へ伸びた比高20mの尾根端に築かれており、東背後にL型の土塁と2本の堀切があり、西の尾根が曲輪となる。なお、田代城跡から西方約250mのところに出曲輪が在る。また、東約300mの所に出曲輪がある。
 近くの大沼城とともに戦国期の足助七城の一つに数えられている。

【史跡規模】

【指 定】

【国 宝】 

【国重文】

関連時代 戦国時代
関連年号 1551年・1552年・1571年・1572年
関連人物 系図 関連人物 系図 関連人物 系図
森 外記 G*** 松平主税(道久?) MT** 松平甚五左衛門 MT**
松平元康 TG01 武田勝頼 G432

 

【C-AC176】田代城跡
  

 

【C-AC176】田代城跡

 

田代城,出曲輪縄張図(『愛知県中世城館跡調査報告』に加筆)

<足助七城>

七城(七屋敷) 築城者・主な城主

足助鈴木氏時代の
足助七城

 

※真弓山城にこの時代の遺構が発見されず、下記範疇とされる

飯盛城 足助重秀・足助重朝・足助重方・足助頼方・足助貞親・足助重範・足助重政
真弓山城 鈴木忠親・鈴木重政・鈴木重直・鈴木信重・鈴木康重
黍生城 足助重長
城山城 (不明)
臼木ヶ峰城 中條全満
成瀬城 鈴木重次・鈴木重成・鈴木正三
大観音城 (不明)

戦国時代の
足助七城

真弓山城 鈴木忠親・鈴木重政・鈴木重直・鈴木信重・鈴木康重
浅谷城 簗瀬九郎左衛門
円山城(御蔵城) 鈴木高国・円山義清・鈴木高教・深谷金正
八桑城 鈴木甚五左衛門
安代城 原田源左衛門・原田種則
大沼城 木村安信・木村信元・松平近清・松平近正
田代城 森外記・松平主税(道久?)・松平甚五左衛門

【C-AC176】田代城跡 ※本サイトの写真は転用可です(画像をピックすると拡大、コメント表示されます)

西端の郭(3郭)の遠景 南からの遠景 城跡への入り口 主郭 土塁 土塁 土塁 堀切 堀切 堀切 堀切 堀切 堀切 堀切の間の郭? 堀切の間の郭? 堀切の間の郭? 東側の堀切 東側の堀切 東側の堀切